「ほっ」と。キャンペーン
ブログトップ

ヒマラヤスギ雑記

cedar2.exblog.jp

美味しいお寿司

母の誕生日は今月の8日だった。ちょっと遅れたけれども母の大好物のお寿司を食べに久しぶりのお店に行ってきた。写真撮影は、禁止ではないし、以前は撮影したのだけど、なんというかシャッター音を響かせるのが似合わないと思ったので(もうそういうお店じゃないって感じだ)、今回は画像ゼロ。

お料理12品と握りが15貫と最後に赤だしと、ほおずきから成る、おまかせコース(メニューはこれのみ)をいただく。ここの器はかわいらしい。最初の12品の器とお料理の組み合わせは、とても素敵。牡蠣の酒蒸しは、鳥獣戯画の描かれた小さな蓋つきのお椀に盛られていたし、毛ガニはガラスのかわいらしい蓋つきの器に、あん肝と器のコラボもよかった。以前は、器のほとんどを備前焼で揃えられていたのだが、少しずつモダンなもの、繊細なものも取り入れるようになったとのこと。お店の方によると「備前焼きは盛り付けが難しい」そう。今は、蓋つきの小さな器とか鳥獣戯画が描かれたものが好きで、そういうものが増えましたと笑われる。京都の業者さんがサンプルを持ってきてくれて、そこで気にいったのを選び作ってもらうらしい。

お店は相変わらず、清潔ですっきり、ぴしっと和の空間で洗練されている。強いて言えば、お花を一輪でもカウンターに飾られてもよかったかも。出入り口が少し以前よりも変わったかな。駐車場がなくなっていた。

お料理:どれも美味しかったけど、あん肝の醬油煮とか、ちょっとあぶった太刀魚の握りとか、穴子、サバの炙りは、ほんとにほんとに絶品だった。それから、柚子をくりぬいて器に見立てて、その中に白子をムースみたいな感じにして詰めたものとか、あと、甘えびも。全てがなにこれ、美味しすぎる!って感じだった。夫は、生ビール、日本酒、熱燗、麦焼酎のお湯割りと、飲みまくりだった。

ヒノキのカウンターは、7年経つけれども真っ白で、シミ一つなくピカピカだった。以下、お店の人に伺った「お寿司屋カウンターあるある」;

寿司屋のカウンターといえば、ヒノキだが、これはヒノキの抗菌作用がおおいに関係している。ヒバも同じように抗菌作用があるけど、ヒバは寿司屋のカウンターに使われるのかと訊ねたら、「寿司屋のカウンターは、ヒノキというのがなかば決まっておりまして」とのお返事。で、ヒノキのカウンターは、水ぶきで十分で、少々汚れがある場合は、熱湯をそこにだけかけるそう。ビールでもお酒でもウーロン茶、日本茶でもヒノキは拭けば跡が残らないが、赤ワインとほうじ茶だけはヒノキにこぼすとシミが取れないらしく、「だから、赤ワインとほうじ茶を置いている寿司屋は(知っている限り)あまりないですね」とのこと(へー)。特にほうじ茶は普通おかない。シミが残ったときは、紙やすりで削る。広範囲のシミの場合は、カウンター全体をカンナで削ってもらうとのこと。これはかなり大変らしい。ちなみに10年に1度は、シミの有無にかかわらずカンナで全体を削ってもらう手入れをするものらしい。

今度、外国人を寿司屋に連れていったときに、上記のウンチクを話せるように心の中で英語に直しておこうなどと思った次第。

美味しいお寿司を沢山いただいた後は、珈琲を別の店で飲んでご機嫌で帰宅。美味しかった。

お店:
https://tabelog.com/hyogo/A2801/A280105/28006305/
住宅街にあって、知らないと絶対に辿り着けない場所である。でも、お寿司大好きな外国人が、ガイドブック頼りに外国人だけで来られることもあるらしくて、音声翻訳機を使って電話で予約してくるんだとか。お店の人によると、「みなさんものすごくお寿司のことをよくご存じです」とのこと。







[PR]
# by himarayasugi2 | 2017-02-20 08:58 | | Comments(0)

25年前に読んでいたら。

25年前、結婚してすぐに夫の転勤に伴い北関東に引っ越し、2年を過ごした。その間に再就職して、都内まで片道2時間少々かけて通勤していた。1日の通勤時間が往復で4時間以上だったあの頃、1日=24時間があまりにも短かったことはよく覚えている。一番つらかったのは、仕事が終わってからだった。残業をしないで一目散に帰ったとしても、家に着くのは午後7時半である。それから着替えて、気力を振り絞ってなんとか夕飯を作っていた。精神的にも落ち着かない日々だった。少しでも残業したら、バスがないこともあり、帰宅が午後10時や11時になることもざらだった。そうなると、お手上げで、近所のコンビニでインスタント食品を買って晩御飯にしたこともあった。平日は、いつも晩御飯のことが気になっていた。また土日は、目が覚めるまで寝て、あとは掃除と洗濯で1日はつぶれる。今思い返しても、なかなかタフだったと思う。

よく推奨されていた「週末に1週間分の夕飯の下ごしらえをまとめてする」なんて時間はなかった。特に家庭的でもなく、家事が得意でもない私が、もしそれを真面目にやっていたら、休みが全くない感じだっただろう。

書店で土井善晴の『一汁一菜でよいという提案』を手にして、出だしの部分を読み、25年前の忙しかったときにこの本に出会っていたらよかったのになとしみじみ思った。最初の1行を読んで涙でそうになった;

この本は、お料理を作るのがたいへんと感じている人に読んで欲しいのです。(8頁)


本書は、いわゆる一汁一菜のレシピを公開したものではない。また一汁一菜というのを「お洒落な和食のスタイル」として取り上げているのでもない。この本の主旨は、下記に集約されていると思う;

一汁一菜とは、ただの「和食献立のすすめ」ではありません。一汁一菜という「システム」であり、「思想」であり、「美学」であり、日本人としての「生き方」だと思います。(10頁)


土井さんは、時間がないときに無理して一汁三菜など用意する必要はないけれども、料理をすることの意味を忘れてはならないという。それは、食事というのは、ただ食べるだけでなく、買い物から、下ごしらえ、調理、食べる、片づけるという一連の行動が集まった行為だから、時間がないから毎回外食をする、出来合いのものを買うということが続くと、それは「人間は食べるために必然であった行動(働き)を、捨てることにな(る)」(38頁)のだ。この行為を最小の単位でも生活に根付かせるために、限られた時間内で全ての行動をきちんとやれるために、土井さんは、一汁一菜を提案しているのだと理解した。要は、食材を選んで料理をして、食べて、後片付けをするというのは、全て等しく大切な行動なのだ。

50頁からは、具体的な「一汁」の内容(アイディア)について触れている。決してレシピ集ではない。なのに、独特の語り口が読みやすく、すごーくやる気になる。土井さんが実際に日常で作られたお味噌汁の写真も沢山掲載されているのだけど、それらがみな、手でちぎったであろう豆腐に、キノコがどっさりはいった味噌汁だったり、またまた手でちぎったっぽいキャベツやら菜っ葉がどっさりの味噌汁だったりする。写真が、全く気取っていなくて、最近よく見られるSNS料理とは全く違うもの。すっぴんの食事の記録写真とでもいおうか。またそれが美味しそうなのだ。生卵を最後にお味噌汁に落としてみよう、ごま油で手で大胆にちぎったお豆腐を炒めて、キノコを加えてお味噌汁にしてしまおう、とか、やってみたいアイディア満載だった。まだ75頁までしか読んでいないけど、面白い。

本書の前半部分は食事を改めて見直そうと考えさせられる内容だった。お料理本というのではなくて、なんだろ、料理を通して生き方語る、みたいな感じ。初めて土井さんを知ったのは、2003年からしばらく放送されていた『食べて元気!ほらね』という番組で、宮根(このころの宮根は、まだ感じがよかったが、今は……)と一緒に料理を作るコーナーだった。あ、土井勝の息子やわー、面白いやん、みたいな感じでいつも楽しみにみていた。あの話し方が好きである。

よい本だと思った。長距離通勤時代の疲れ果てていた私が読んでいたら、きっと元気になっていたと思う。








[PR]
# by himarayasugi2 | 2017-02-19 09:06 | 本など | Comments(2)

外国語スイッチ、エレガントな人

某外国語の授業の日だった。前回と同じ代行の先生である。やはりこの先生の授業はいい。緊張感があるし、生徒を集中させるのが上手い。私は大昔にイタリア語を3年間、週一で習っていたのだが、そのときの先生(3人のイタリア人の先生(男性2、女性1)が毎週交替で出て来る)は、結構厳しくて、授業中はものすごく集中しないとついていけなかった(宿題も多かったし)。イタリア語を勉強していたときは、「外国語習得スイッチ」みたいなのが入る瞬間をよく感じていて、そういうときは「ぐんっ」と上達したのだ(今はスイッチ切れてます、完全にね)。しかし、アラフィフになってはじめた某外国語は、全くスイッチが入らなくて、やる気も失せていたのだが、これは年齢のせいでスイッチが入らないのだとばかり思っていた。先々週までは。

代行の先生の授業は、埋もれていた私の「外国語習得スイッチ」をONにしてくれたみたいで、はじめて某外国語が楽しいと先々週から感じている。頭の中に人称変化を図にしたようなもの(理解できたときは、そういうイメージが頭に立ち上がる)が出てきて、楽に話せるようになっていた。今までこの外国語を学習していてスイッチが入らなかったのは、年齢のせいではなかった。やっぱりある程度厳しくないと、私のような怠け者はダメなのだ。もしまたこの外国語を外で学ぶとしたら、今度はもっと厳しいクラスを選ぶと思う。どうせなら、上手くなりたいもの。とりあえずは3月末でお休みだけど。

某外国語の後は、クラスメートの方とお昼をご一緒した。アラセブンからアラエイトである。家事代行サービスの話とか、民間の生活サポートの話とかいろいろ伺う。なんと、資料もコピーを取ってきてくれていて、「はい、これあなたの分よ、ご両親にお見せしてもいいし、あなたがいつか考えるときの資料にしてもらってもいいのよ」と。コピーをくださったのは、エレガントAさんなのだが、Aさんは家で「老人」というファイルを作っていて(ストレートすぎるファイル名に笑ったけど)、そこに病院、生活サポート、介護施設、シニアサークル、健康情報などを切り抜いたり、コピーしたりして保存しているらしい。「グルメ」のファイルも充実していて、沢山美味しいパン屋さんを今日は教えてもらった。

本日のAさんの装いもとてもエレガントだった。シルバーグレーのかっこいいショートヘアにゆるくウェーブをかけていて、美しい艶のある黒のハイゲージのタートルネックのセーターに、オフホワイトりの厚いコットンのワイドパンツに、黒の靴に、すごく生地のよい黒のチェスターコートを「ふわり」と羽織られていた。雨だったから、グレージュのナイロンのこれまたお洒落なトートバッグを持っていらした。スマホはアイフォン6s。そうそう、イヤリングは、黒い石をゴールドで縁取ったシンプルなものだった。常にお洒落。センス抜群なのだ。シャツのときは、びしっとアイロンがかかっていて、襟をピンと立てているし。私が75歳になったときに、Aさんみたいになっているのだろうか(いやぁ、無理やろ)。

この勢いで某外国語の宿題(作文なんだけど)をやってしまおう。スイッチ入りまくり。







[PR]
# by himarayasugi2 | 2017-02-17 18:07 | 雑感 | Comments(0)

パイプオルガンは深い。

まだ視聴していなかった録画がハードに残っていたので、昨日再生した。おそらく夫が予約録画して忘れていたのだろう。パイプオルガン奏者の冨田一樹さんを取材した『情熱大陸』である。冨田さんは、取材当時28歳で、2年に一度開催される2016年の国際バッハコンクールのパイプオルガン部門で日本人初の1位になった方である。演奏の卓越性だけでなく、バッハの楽曲の解釈の深さでも審査員をうならせたのだ。

音楽の国際コンクールで1位をとった直後の取材なのに、番組冒頭からテンションの低い冨田さんである。彼は、28歳という年齢なら、もっとちゃんと稼いでいないといけないと悩んでいたのだ。パイプオルガンの本場のドイツですら、パイプオルガン演奏だけで食べてゆくのは難しく、たいていはパイプオルガンのある教会の専属オルガニストとなることで収入基盤を維持する。しかし、クリスチャンではない冨田さんにはそれはできないのだ。それに彼は、ドイツの大学院の留学を終えたら帰国するか、ドイツに残るかでも揺れていた。コンクールで1位になったぜ、うわーい、みたいにまったく浮かれていないのだ。真剣に将来を憂えていた。

冨田さんは、15世紀や17世紀につくられた聖堂の当時のままのパイプオルガンを弾くことを許可されている。誰でも自由に弾かせてもらえるものではないし、技術的に誰でも弾けるものでもない。沢山のボタンにピアノの鍵盤みたいに並んでいるペダルに鍵盤にと、四肢を駆使して体全体でパイプオルガンを操るのだ。番組で冨田さんが演奏したパイプオルガンは、みな聖堂に設置されたものである。聖堂の「声」の部分なのだ。彼は、パイプオルガンを通して15世紀の聖堂の声を再現することができる。音色はドームに反響し、その聖堂だけの声となるのだ。これが中世の聖堂の声かと思うとゾクゾクする。彼は選ばれた人だ。演奏する彼は、番組冒頭の悩める青年ではなかった。横顔は神聖ですらあった。

中世のパイプオルガンを弾き終った彼の顔からは、悩みは消えていた。「パイプオルガンは絶対にやめないです」と言い切った彼は、生涯をかけて取り組むべきものを手にした喜びで輝いていた。旅費をけちったために、演奏を終えた帰りの電車では、席に座れず車両の扉付近の地べたに座っていたけど、なんだか楽しそうだったし、見ていて嬉しくなった。冨田さんは、大学院を修了後に帰国することを決めたという。

冨田さんは、夢中になれる好きな対象があり、その対象にも受け入れられる才能をもつ一握りの選ばれた人だと思った。日本にも冨田さんの演奏を待つパイプオルガンは沢山あるし、演奏活動だけでなく作曲活動などでもどんどん活躍されると思う。その後の冨田さんをまた見たいなと思った。







[PR]
# by himarayasugi2 | 2017-02-16 09:31 | エンターテインメント | Comments(0)

家系など

先日、夫の姉夫婦が来たときに確信したことがある。前から夫は、固有名詞をうろ覚えで平気で使うと思っていたのだが、それは家系だった。夫の母は、「ミシュランのお店」を「ミシェルのお店」と言い、「マグナムライト」は「マクドナルド」、「アナログ」は「アナグロ」と言い通し、相手が理解することを要求する(夫の姉によると、間違いを指摘すると逆切れするとか)。夫の姉は、我が家にいる間、ほぼすべての固有名詞を間違っていた(施設の名前から、芸能人の名前まで、なにからなにまで)。夫も、お笑い芸人の「又吉(マタヨシ)」は、「マタキチ」だし、「アンシャンテのワタナベ」と何度も言うので、よくよく聞いてみたら、「アンジャッシュの渡部(ワタベ)」を指していたとか、「吉高由里子」は「キッタカ」と呼ぶわで、ちゃんと覚える気もないし、指摘されても悪びれないのだ(まー、面識のない芸能人だからいいか)。

会社で人の名前を間違うと失礼だ、と言うと、会社の人は絶対に忘れないのだと言う。たとえば、「寺島」を「テラジマ」か「テラシマ」かといったレベルで完璧に覚えているのだとドヤ顔だった(当然でしょーが)。


最近気がついたのは、2月は、外で人と会う機会が極端に減るということだ。ぱぱっとスーパーに行くとかはあるけど。2月も大学に行く用事は減る(8月も少ない)。だから、あんまり極寒時のワードローブは必要ないのだ。スーパーに行くだけだと先週と今週で同じ装いでも全く問題ないし。某外国語とたまに外食に行くとき用にまともな服があればいいみたい。どちらかといえば、ユニクロの暖パンとかダウンを着ている時間の方が長いと思う(ケン散歩のときの2月のユニフォームである)。

一応貼っておこう。

[PR]
# by himarayasugi2 | 2017-02-14 09:34 | 雑感 | Comments(0)