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ヒマラヤスギ雑記

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運命なのか、偶然なのか

NHKのドラマ『10年先も君に恋して』は、2020年に離婚寸前の夫(内野聖陽)がタイムマシーンで2010年に戻り、結婚前の妻になる予定の女性(上戸彩)と会い、「不幸な結婚になるので、今から自分と出会っても結婚しないで」と告げる。今週の展開では、未来から来た夫に上戸彩が惹かれてゆくところで次週に続くとなった。

こういうタイムスリップものとか、あのときああしてたら、ああなったけど、あのときこうしてたから、こうなんだよね、みたいな映画とかドラマとかは好きである。なんとなく自分にも実は過去運命の分かれ道みたいなのがあって、違う道を歩いていたらどういう景色だったのかとか考えるのだ。こういうことを考えるっていうことは、そもそもタイムスリップが不可能なことだからだし、それなりに年をとったからだと思う。要するに、来た道を振り返りはじめたのだろう。夫に「あのとき違う選択をしていたらって考えるときってある?」と訊ねたら速攻で「ない」と。そうそう、そうでした。夫は過去を振り返らない男だった。

このドラマでは、未来から来た夫が10年先の出来事を教えるシーンが何度かある。例えば、あの作家は賞を受賞するよとか、君のおばあさんは御健在だよ、とか。ただ、本人に直接関係することだけは教えないようにしている。「私は再婚しているのかしら?」と上戸彩の上司の女性が訊ねるが、それについては「未来は知らなくてもいい(あるいは知る必要がないだったか)」などといってはぐらかす。私に関して考えると、精神的に安定しているときは、未来は知りたいとは思わないが、不安定なときは未来において状況は改善されているのか知りたいと思う。でも未来を知ると、人は努力しなくなると思うし。先がどうなるかわからないという状態が人のモチベーションの維持に大切なのだと思う。

未来なんて知らない方が楽しみは多いと思う。秋はいつも金木犀の香りを楽しみにしているけれども、あれはいつのまにか甘酸っぱい香りが漂うからいいのであって、明日の朝の散歩の時間に金木犀の匂いがするなんて前もって知っていても、ちっとも嬉しくない。阪神タイガースが土壇場でやっぱりリーグ優勝するってことも知らないほうが喜びは大きいのだ。たとえそれが決まっていることであっても、人は運命には偶然の顔をして欲しいと思うもの。何年もたって振り返ったときに、ああ、こうなる運命だったんだなとわかるのだ。

自分の過去においても、「もしXだったら」と考える事柄はある。けれども、わかっているのは私の意志でXを選ばなかったということ。それから未来や運命なんて、意志の力で絶対に変えることが可能だと思う。というよりも、そうあって欲しい。自分で選び取ったという実感が大事なんだと思う。

日常残念なこと:
今朝の散歩は普通に夏だった。暑い。朝からエアコン全開である。金木犀はいつ咲くのだろう。全然香りがしない。こうやって四季が崩れてゆくのは残念だ。

日常恐ろしいこと:
大阪地検特捜部の主任検事が、証拠を改竄していたということで、朝からそのニュースばかり。検察の描く事件の構図に当てはめるためにやったらしい。無実を有罪にすることが、検察の仕事なのか。特捜部OBがテレビで「彼もプレッシャーがあったんだと思う」と発言。プレッシャーなんて、どんな仕事をやっていてもあるものだ。正直、恐ろしい事件だと思った。この主任検事は、いつからか万能感みたいなものを感じていたのだろう。功名心が強すぎたのかもしれない、という説明もあったようだが、こういう仕事は功名心が動機になっては絶対にいけない。大きな権力を持たせてもらっているものは、真実の前には常に謙虚でいるべきだ。真実が検察の思い描いていたものと違う場合は、それを認めて受け止めるべきである。検察は当該の事件については控訴を断念したと発表したが、当然である。そんなことするヒマがあったら、他にやることあるだろう。
by himarayasugi2 | 2010-09-22 08:35 | 雑感 | Comments(0)
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