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ヒマラヤスギ雑記

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『龍馬伝』43回:船中八策に置いてけぼり/疲弊の10月

『龍馬伝』43回は、龍馬が船中八策を作成し、その内容を紹介するのがメインだった。最初に後藤象二郎が船上で目にし、その内容の緻密さと斬新さ(だろう)はケチのつけようがなかったようで、「もうちょっと綺麗な字で書きや」というのが精一杯だった。そしてその内容を京都で中岡慎太郎と中岡が世話になっている相撲部屋の料理番(名前忘れた)の前でひとつひとつ朗読するのだが、そのシーンで中岡慎太郎やら料理番やらが感動して泣くのだ。それを画面で見ながら泣けない私は、なんとなく置いてけぼりをくらったようだった。ところどころわかるのは、今では当たり前のことばかりで、そんな泣くほどのことかいと思いつつ、あの反応から私が学んだのは、民主主義というのは、昔からあるようで、日本では日が浅いものなのだということである。そして、平和や平等という「タダ」で手に入れたと思っているものは、結局は龍馬をはじめとする人たち- 幕末に私心を捨ててその礎を築こうと奔走してくれた人たちの命の上に成り立っているということだ。

中岡慎太郎が、これを実現しようとしたら、既得権益を手放そうとしないものたちの猛反対にあうだろうし、龍馬の命だって狙われると言うと、カメラが龍馬の顔をアップで捉えたところで、「命を狙われるくらいのことをしないと、日本は変わらない」と言い放つのだった。このシーンは、龍馬が真正面を向き、バックは黒で画面の右側に竜馬の顔のアップを寄せて構図を作っていた。肖像画では、真正面を向く=正面像で描かれるのは、権力のあるもの、賢者、聖なる者(キリストなど)が多いのだが、この真正面を向かせるショットは、そういった意味合いもあるのだろうか。例えば殉教者的な扱いというか。5ヶ月以内で暗殺される龍馬は、そういう描き方になるのかもしれない。左に寄せた黒い画面=闇は、死の予感かもしれない。個人的には絵画的に見ることもできる印象的な場面だった。

後藤象二郎の太い感じは、西郷さんを圧倒していた。彼は知らない間に弥太郎とドラマを引き締める存在になっていた。たんに役柄というだけでなく、演技力もおおいにあるのだ。歯が痛いだけでも絵になる容堂はさすがの存在感である。弥太郎は、今回は金の亡者であった。もうちょっと謙虚さがあってもいいのに・・・と思いつつ、弥太郎の成り上がっていく様はドラマ観賞のキモでもある。

疲弊の10月:7月もそうだったが、10月も忙しい。10月の3連休の研究室主宰のイベント準備のため、10月に入ると全く休みなしで、でも授業はまったなしなので、なんちゅうかふらふらだった。今週いっぱい乗り切って、体調を整えよう。というより、どんなことがあっても休めない。やっぱり体力がないなぁと痛感。ゼミの同級生はみな徹夜で乗り切れるのだが、私には徹夜は無理なので、空き時間にせかせかやるしかない。それが疲労感を倍増させる。ああ、愚痴ってしもた。こんなこと最初からわかっていることなのにね。昨晩はマカのドリンクに手をだす。
by himarayasugi2 | 2010-10-25 08:52 | エンターテインメント | Comments(2)
Commented by CHARADE at 2010-10-25 10:52 x
藤吉です。龍馬を慕っていますが一緒に暗殺されてしまいます。ぜひ名前を覚えてやってください。

Commented by himarayasugi2 at 2010-10-25 17:36
CHARADEさん、
藤吉さんですか。ありがとうございます。彼はしばらく出番が続くのですね。覚えました。それにしてもお詳しいです。
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