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ヒマラヤスギ雑記

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12月の美しい記憶

中学、高校、大学とミッションスクールで学んだ。中学高校では朝礼の代わりに毎朝礼拝がある。全校生徒が朝、賛美歌と聖書を持って講堂に行く。前の席の背に賛美歌と聖書を入れて、パイプオルガンを聴きながら礼拝が始まるのを静かに待つ。礼拝では、まず賛美歌を歌い、その日の聖書の箇所を読み、そしてお話(説教)をきく。そしてお祈り、最後に賛美歌。説教をする人というのは日によって違う。例えば、教育実習の最終日に実習に来ていた大学生が、実習の思い出を話し、最後に全員で賛美歌405番「神ともにいまして」を歌ったりした。405番は、お別れのときに歌うことが多い賛美歌だ。そのことはよく覚えている。そのとき、賛美歌って美しいな、いいなと初めて思ったから。

12月に入ると、朝の礼拝で歌う賛美歌にはクリスマスキャロルが多くなる。そして、12月にはクラス対抗の「賛美歌コンクール」が開催される。各クラスでクリスマスキャロルを選び、そのコーラスの美しさを競うというもの。必ずクラスに数人はコーラス部だったり、声楽をやっている人だったり、ピアノが上手な人だったりがいて、そういう人たちが中心になって選曲し、クラスメートの声を一人一人きいて、デスカント、ソプラノ、アルトとパートを決めるのだ。放課後はかなり熱心に練習する。「賛美歌コンクール」も体育祭やら校内球技大会と同じように勝利を目指して頑張る行事のひとつだった。私は声が低いので、6年間アルトのパートだった。今でも歌ったことのある賛美歌は無意識に下のパートで歌う。賛美歌コンクールを6回経験して、毎朝礼拝でも賛美歌を歌った中学高校生活だった。10代のこの頃が、人生で最も歌った時間だろう。

そして12月にはクリスマス礼拝という特別な礼拝がある。通常の礼拝よりも少し長く、講堂に入ると蝋燭が一人一本ずつ渡され、その日の礼拝は蝋燭の火のもとに行うのだ。高いヴォールト天井が数百本の蝋燭に下から照らされて、ぼんやりゆらゆらと揺れている。生徒はみな手の中の炎を見つめている。ハンドベルの演奏や、響き渡るパイプオルガンの音、みなで歌うクリスマスキャロル、お話、お祈り、そしてまたキャロルを歌って終わる。プロテスタントの礼拝の場所にはイエスや聖母マリアなどの彫像、絵画などは一切置かれていない。あるのは、仄暗い天井と賛美歌の歌声、説教をする声、聖書をめくる音とそれを朗読する声。講堂には数百人いる、でも大変静かなのだ。

あの頃クリスマス礼拝を、静かにお行儀良くクリスマスキャロルを歌う時間としか考えていなかった。けれども今、ショッピングモールなどのBGMとして賑々しくクリスマスキャロルが聞こえる度に、中学高校のときのあの贅沢で静かなクリスマスの時間が懐かしくなる。クリスマス礼拝の記憶はいつでも思い出の引き出しから取り出せると思っていたのだが、中学高校でのクリスマスを書き残すために一生懸命に思い出そうとしたとき、記憶がぼんやりとしてきたことに気づく。どうかこれ以上美しい記憶が消えませんように。
12月の美しい記憶_c0221299_8241992.jpg
(先日訪問した外国人倶楽部内のツリー。写真はさわさんにお借りした。)

今年のクリスマスの過ごし方:私は、こっそり(音痴だから)ユーチューブと一緒に好きな賛美歌を歌って、あとは美味しいものを食べてお喋りしておしまい。夫がきっと色々な人が歌うクリスマスソングCDをかけるだろう。
by himarayasugi2 | 2010-12-24 08:27 | 雑感 | Comments(0)
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