人気ブログランキング | 話題のタグを見る
ブログトップ

ヒマラヤスギ雑記

cedar2.exblog.jp

『JIN』初回視聴

熱狂していたドラマ『JIN』の続編というか、おそらく完結編が始まった。初回は2時間。初めて見たときのワクワクした感じは正直だいぶ薄れてはいたけれども、それでもここ半年のドラマの中ではやっぱり1番面白かった。

仁は江戸に来て2年たった今ですら、いまだ自身の医術で治療することは歴史を変えてしまうのではないかと考える。それを咲に「先生は医者です」と諭されても歴史を変えてしまうことへの戸惑いは常に忘れてはいなかった。が、それを傲慢であり、そこまでお前は技術があるのか、自信過剰であると喝破したのは市村正親が演じた佐久間象山だった。市村正親の出番はほんの5分ほどなのに、恐ろしいまでの存在感だった。ぎょろっとした目に響き渡る力強い声。「神はお前がやったことが気に食わなければ即座に取り消されるだろう」と仁に諭す象山。こんな芝居がかったセリフ、下手な役者がテレビで叫べば本当に画面の温度が下がりそうだが、さすがは市村正親、彼でなくて誰が言うのだというくらい説得力のある言葉になった。

結局のところ、自分が今できること、すべきことを精一杯やるしかない、そういうことだと思う。仁はまず医者として、すべきことを思いのままにするしかないのだ。誰だってそうだが、ベストを尽くしてもダメなときはダメなのだし。かといって、結果を恐れて何もしないことこそ、1番恥ずべきことなのだ。このドラマではいつも、人の命の時間は誰が決めるのか、ということを考えてしまう。ドラマの中では西郷隆盛はあのまま仁が手術をしなければ、死んでいただろう、でも仁は手術をすることを選び、助けるのだ。その代わり、京の焼け出された怪我人たちは、仁の不在の結果、大勢が亡くなってしまう。必ずバランスがとれるようになっている。そして、坂本龍馬は仁をもっても死ぬことになるだろう。それも定められたもの。その定めは誰が下すのか、それをドラマでは常に「神」という存在の役割としている。変えていい未来と変えられない未来の線引きも「神」の都合なのだろうか。なんとなくタイムトラベルもののドラマにおいて、そういった存在を「神」にしてしまうと、「神」があまりに人間臭くなるような気もする。

坂本龍馬:夫が途中で「やっぱり坂本龍馬はこっちの龍馬やったな、福山より」とぽつりとコメントする。同意である。内野龍馬には、太く短く、力強くぱーっと散っていく者が持つ独特の気配があるのだ。暖かく、並外れた強い信念を強烈に印象付け、観ているこちらもそれ故に彼の残りの時間がわかってしまうような、そんな演技。飲酒運転疑惑などでミソがついてしまった内野氏ではあるが、よい龍馬を見せて復活して欲しい。

次回予告を観るに、あまりすすんで観たい話とは思わないのだけど、まーどうせ上手くかわすとは思うので、痛そうなシーンをすっとばしてから見ようかな。こういう姿勢っていかんよねぇ。

追記:『江』は3回目か4回目あたりでリタイアしてしまっているので、日曜日のお楽しみは『JIN』だけなのだ。『JIN』は続くかな。
by himarayasugi2 | 2011-04-18 08:30 | エンターテインメント
<< 恋愛、ドラマ、犬の短い話 同じ服を着て嬉しいとき、気まずいとき >>