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ヒマラヤスギ雑記

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占い

最後に占いをしてもらったのは、2年前である。私は占いフリークとまではいかないけれども、今まで結構占いを試している。独身時代、仕事のことで悩んでいた私は、友人のお母さんが教えてくれた「よく当たる占い師」(*1)のところに行き、「わりと当たっている」というレベルを遥かに超えた当たりっぷりを目の当たりにし、それから占いを信じるようになったのだ。

そのときは、上司とうまくいかなくて会社を辞めたいと思っていたのだが、占い師によると「来年の3月か遅くとも4月には職場が変るから、辞めないで我慢して。今度の職場の上司とは合うし、他の人とも相性がいい」とのこと。占いに行ったのが11月だったのだが、4月1日付けで異動になった。しかも、引継ぎがあるから3月から実質異動だったのだ。占いのとおり、上司はとても尊敬できる方だったし、他のメンバーもいい人ばかりだった。大当たりである。で、そのとき占い師はこちらが訊いていないのに恋愛についても教えてくれた。「3つか4つ年上の意外と身近な男性が、数ヶ月前からあなたと友達になりたいなって思っている。あなたはまだ気がついていないけど、相性はいい」と。で、結局その男性は今の夫である。話してすぐに、ああ、この人はあのとき占い師が言っていた人物だと、ぴんときたのだ。当たっている。

こういうことがあってから、街の占い(安い)に時々、気軽に行く。台湾でもよく当たる四柱推命に行った。2年前は、大学院を受けようか受けまいかということをちょっと訊きに行ったのだ。そのとき仕事をしていたし、まぁ、どうしようかなぁくらいに思っていたが、でも行くなら今しかないし、やっぱり受けようかなぁ、などと毎朝目が覚めると考えるようになっていたのだ。で、結局4人の占い師に見てもらった。2人の占い師には今後の展望を教えて欲しいと曖昧にいい、あとの2人にはずばり院のことをきいた。私が彼らを誘導したのかどうかわからないが、4人とも「今迷っていることは、思い切ってやりなさい、結果は吉」と答えたのだ。そういうわけで受験を決意し、現在に至っている。そこそこ楽しいので、占いは当たったといってもいいのかもしれない。でも、これ占いなのか?

結婚だって、大学院だって、占いに行かなくても結局結果は同じだったと思う。振り返れば、やはり私は今の夫との結婚を自分で選択したという自覚があるし、大学院も実は占いに行く前から受けることだけはどこかで決めていた。ただ、怖かっただけ。誰かに背中を押してもらいたかったのだ。断言できるのだが、たとえ「院なんて受けても無駄である」とか「試験に通らない」とか占い師に言われても、受けただろう。腹が立って。それに占いでそう言われたから受験しなかったなんて、一生後悔するだろうし。なら、なぜ占いに行くのだろうか。そこのところがよくわからないのだ。

散々占いに行っておいて、こう言うのもおかしいのだが、占い以前にまず自分の行動指針というか、信念を固めておくことが必要かなと思う。占いでどんなことを言われてもぶれない自分のルールみたいなものを。私の場合は、とにかく新しいことに適応することに苦手意識を持つので、「やらなくてよい言い訳をすぐに思いついたら、やる!」と「70歳になったときに、やっておけばよかったと後悔しないか常に考える」を鉄の掟として持っている。結局私が占いに行くのは、占い結果で先の行動を決めるためでなく、案件を決行するに際し、刺激が欲しいからかなと思う。上手くいきますよ、やりましょう、と言われたらそれはそれで勢いがつくし、だめだめ、やめましょう、と言われたら「占いに人生決められてどうするねん!」と腹が立って、やるのだ。だから、なぜ占いに行くのかますますわからなくなってくる。

*1:この人のところには20年近く経ってもう1度行ったのだが、そのときは全く当たらなかった。占い師にもピークというのがあるのだと思う。
by himarayasugi2 | 2011-05-20 08:22 | 雑感
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