今住んでいる地元の駅周辺は、すぐ北には山が迫っているため大きな駅ビルなどはなくて、こじんまりした個人商店が多い町である。私が引越ししてきた小学生のころからある一坪くらいの狭い面積のアクセサリーショップなどが今も商売を続けていて、古くからの個人商店をベースに新しいお店が参入している、そういう街である。
誰に教えてもらったか忘れたが、大昔地元にパチXコ屋が出店する話が持ち上がったとき、地元商店街が団結してそれを阻止したらしい、ということ。芦屋市などは自治体でパチXコ出店を規制しているが、神戸市は基本そういう規制はないので、地元商店街の自主的な取り組みで街の景観を守ったことになる。地元には街づくりのための協議会や商店街などが活発に活動していて、この「こじんまり感」を守ってくれているのだ。
帰宅途中、どうしても喉が渇いて仕方がなかったので、途中のカフェに飛び込んだ。お茶を待つ間、「ご自由にお取りください」コーナーに置かれた小冊子を手に取った。それは地元の街づくりを話し合う協議会が発行しているものだった。まちづくりのヒントを話し合った議事録が収録されていて、それがなかなか面白かった。発言者は地元で商売をしている店主ら、コミュニティーデザイナー、協議会メンバーである。
カフェを経営している人が、ここでカフェを開こうと決めた理由を、チェーン店が少なくて、個人店が活発だからと発言しているのに頷く、というのも私がこの街が好きな理由のひとつでもあるから。マクドもミスドもスタバもタリーズ、モスバーガー、カフェ・ド・クリエもあるけれども、それ以上に個人店が元気なのだ。地元の駅に降り立たないと味わえないものが沢山ある。駅ビルがあれば便利は便利なのだが、日本全国どこでもあるものばかりになってしまうのには抵抗がある。
最も興味深かったのは、街の品位を下げる要素についての店主やデザイナーの発言である。実際に商売をする人達は、捨て看板や貼り紙は美しくないと考えていて、これがなくなるだけでも随分街の様子は変るとしている、そして映像や音の広告は街の品位を下げると発言していたことも印象的だった。要は、お洒落で話題性のある店を誘致するよりも、そういった美意識を徹底することが、まず街の景観には重要だと実際に商売する側も考えているということ。
最近、ゴーストタウン化した地元の市場の取り壊しを途中でやめたまま、コインパーキングにしたり、こじんまりしたブティック&カフェの入った古い建物が取り壊されかと思えばコインパーキングになっていたりと、私はちょっとイライラしている。夫が「コインパーキングって儲かるからねぇ」と言う。このコインパーキング問題を是非、協議会で話し合って欲しい。コインパーキングの看板は暴力的なまでに醜悪である。看板をもっと感じよくして欲しいし、コインパーキングごとに駐車できる車の色を決めるとか(無理は承知の上)、なんでもいいからもっと景観に貢献して欲しい。
(庭のヒメシャラの花が昨日から咲きはじめた。ヒメシャラはチャドクガとかイラガとかよってきて、毎年消毒が大変なのだが、この白くて小さくて上品で楚々とした花を毎年見るとやっぱり嬉しい。)