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ヒマラヤスギ雑記

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犬の幸せ

昨日の朝のケンの散歩から帰宅する途中、ご近所のTさんとすれ違った。お見かけするのは犬の散歩のときに家の前を通ったときくらい。毎日会うわけではない。そのTさんとすれ違うときに、「おはようございます」と言って軽く会釈したら、Tさんが「お宅の犬は幸せね」と言ってにっこり笑ってお家に戻られた。おそらくいつも私と会うときは、犬の散歩中だからそういう言葉をかけてくれたのだと思う。私はどう返事したらいいのかなと思って、「あ、ありがとうございます」と返したけれど、なんか変な答えだなと思った。

Tさんは幸せでない犬をご存知なのかどうか知らないけれども、犬が幸せかどうかは本当のところは犬に訊ねてみないとわからない。色々な意見を目にすると、犬にとって飼主が途中で変ること(環境の変化)はストレスで可哀想らしい。そういう意味でケンが我が家にやってきたときは、「可哀想」な状態であったことは確かで(*1)、最初は寂しそうな表情をしていて、一定の車種を見つけたら駆け寄っていって後ろ足で立って車内を覗き込んだり、年配の女性を見たら懐かしそうな顔をして寄っていったりと、なんとなく過去をうかがわせるような行動をしていた。だんだんそういうこともしなくなり、血液検査の数値もよくなり(*2)、笑顔も増えてきて、ケンは飼主が変ったストレスからは既に解放されたのかと思っていた。先日、犬のシャンプーをしてもらったとき、トリマーさんが「ケン君は今幸せですよ」と言ってくれてほっとして、嬉しかったのも事実。
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(扇風機にあたるケン。)

犬は飼主を選ぶことができないので、犬の幸せは飼主次第とも言えるけれども、飼主と犬の関係は多様だと思う。が、飼主が犬より長く元気でいる、すなわち、犬の最期を看取ってやることは大切なことだ。自分の年齢や健康状態を考えて、犬を飼わないという決断も尊重されるものである。出来る範囲で動物愛護に参加する方法もある。実際、里親を探すボランティア団体でも里親になる人の年齢に上限を設けているところがある。高齢者世帯の場合は、ある程度年齢の高い犬でないと里親になれないとか、譲渡は行わないなどである(*3)。近所のIさんは、30年以上シェパードと暮してこられたけれど、最後のシェパードを何年か前に看取ってからは「もう犬は飼わないと決めました」とおっしゃる。Iさんは、おそらく私の母の年齢と同じか少し上くらいである。Iさんは犬が好きだからこそ、そうされたのだと思う。
犬の幸せ_c0221299_7454935.jpg
(ロディちゃんと遊ぶケン。こういう顔をよくしてくれる。)

私は今月が誕生月である。ケンが来てからは1つ年をとるごとにケンと遊ぶために元気でいなくては、と思う。犬は成犬になってからは、次の年から人間の5-6倍のスピードで年をとるという。私が1つ年をとるということは、その間にケンも5つ、6つ年をとるということ。私の1年1年を、ケンの楽しい「6年」にしてやりたい。



*1:ケンは推定2歳のときに私たちが里親になった。姫路の街を一匹で放浪していて警察に捕まり、期限がきて保健所につれていかれるところで、ボランティア団体に保護されたという波乱万丈犬である。
*2:ケンが来てすぐ獣医さんで血液検査をしたら、ストレスが高いときにも数値が上昇するというγGPTの値が正常値を大きく上回っていて、獣医さんの指導の下、食事療法で半年かけて下げたのだ。
*3:犬の種類によっては、長時間散歩させる必要があるし、一緒に暮らす側の体力が要求されてくる。
by himarayasugi2 | 2011-08-03 07:53 | | Comments(0)
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