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ヒマラヤスギ雑記

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利き手、職業、好きなもの

土曜日の日経新聞の日経プラスワンに、右利きの人が左利きの感覚を体験するという記事があった。その人は世の中は右利き中心に出来ていることを改めて感じたと締めくくっていた。以前もブログで書いたけれども私は左利きで、お箸と鉛筆以外は全てのことを左で行っている。でも自分が左利きということは、高校に入って部活の顧問の先生に指摘されるまで知らなかった。それに、つい最近まで世の中が右利き中心ということにすら気づいていなかった。でも体は右が使えた方が楽だと、理性よりも早く感知していたようで、知らない間に両手で出来ることもいくつかあるようだ。・・・ようだ、とするのは、意識していないためにどういった行為なら右手でも左手でも出来るのかすぐには挙げられないので。ここ2年で両肩が四十肩になっていたので、右肩が調子が悪いときは左が、左肩が調子悪いときは右がかばっていて、パソコンのマウスなどは今では右でも左でも同じように使えるようになっている。頭よりも体のほうが柔軟性があると思う。

私の左利きは、おそらく父方の親族からの遺伝だと思う。父の従兄弟の2、3人は左利きなのだ。こういう事実があると、少しだけルーツみたいなものを意識する。また、これも数年前に初めて耳にしたのだが、父方の曾祖父の職業は英語の通訳だったらしい。妹は今も会議通訳として働いているし、私は大学院に入る前は翻訳の仕事をもらっていた。これもなんとなく関係性があるようなないような気がする。私は絵画を見るのが好きなのだが、これは誰からやってきたのかと思っていたら、意外なことに母方の祖父からだった。祖父の家には画集が本当に沢山あって、それは全て祖母のものだと思っていたら、祖父が好きで集めたものだと最近知った。そういうことを知ってゆくと、今私が興味があったり、好きだったりするものは、先祖からもらったものなのかもしれないと考えるようになる。左利きだってそうだ。私は自分が左利きだということをすごく気にいっている。それから、中学生の夏に気づいていたのだが、私の土踏まずはナイフでえぐったように鋭くアーチ型を描いているのだが、その土踏まずの形が父と同じなのだ。そういう色々なものを色々な方面から集めて「私」という存在があるのだろう。ちょっと不思議である。
by himarayasugi2 | 2012-02-19 09:27 | 雑感 | Comments(0)
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