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ヒマラヤスギ雑記

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別人称

今学期最後のY先生の授業に行く。授業は早めに終わり、そのまま少し教室で先生とM2のMさんとなんとなく雑談をする。Y先生は、そのとき読まれている本の内容のちょっとした感想などをよく話してくれるのだけど、その日の話題に絡めてまた論文のことについてチクっと刺される。

「ヒマラヤスギね、今年論文書くんだったら、書くときは、犬のご飯や散歩のことや、ご主人のことや、そういったことはやっぱり遮断して、短い時間でも「院生の自分」という別の人称を確保して書くことやね。いい論文はそうでないと書けません」といわれる。わかっているのだ、それについては。発表の準備をしているときとか、シュウロンやレポートを書いているときは、部屋がぐちゃぐちゃになるのだけれども、それは時間がないからというだけでなくて、自分の日常の立場みたいなものを忘れているからというのもある。1度に平行して複数の案件をこなすことができないのだ。ケンは私のことをケンの家族としか認識していないので、論文を書いていようがお構いナシに用件を伝えにくる。それが切り替えの合図になっている。

別の人称を持つことは、どんな人にも大切なことなのではないだろうか。それだけしかない人生は息が詰まりそうだけれども、別の人称でいる時間は、その人の一般化された時間を創造的にするかもしれないし、彩を与えるかもしれないし、起伏に富んだものにするかもしれない。私の別人称は今のところ院生であり、夫は会社員でもありバンドやジャズギター教室でギターを弾く人でもある。妹の主要な別人称は、他者の言葉をつなげてゆく通訳者である。ふと、私が別人称を失ったらどうするのだろうと考える。どうしよう。今までなにがしかの別人称を持って生きてきているから(*1)、まったくゼロになることは想像がつかない。なんとなくだけれども、私の場合、別人称は持っていたほうがいいような気がする。どんなものでも。ゆっくり考えよう。

*1:幼稚園児から大学生を経て、X社、Y社の社員、フリーランスの翻訳者、(平行して)デッサン教室の生徒、大学院生ときている。「以前XXだった人」というのも縁として大切にするべきだし、「今XXです」も大事だ。

日常:Y先生と携帯のアドレスと番号の交換をする。こう書けば1行で済むようなことなのだが、先生はセキガイセンが出来ないので、番号もアドレスも手で打ち込むのだ、お互いに。そうすると、「アンダーバーってどうやって出すんだよ!」(先生@74歳イライライラっ)「えー、わかりません、それよかアットマークってどうやったら出てくるんですか」(私)「しらん」(先生)と大騒ぎになり、TAがあきれていた。無事15分以上かけて終了。Y先生から私のアドレスがあきれていたTAの人に伝達されたようで、夜にその人からもメールをいただき、携帯からの返信に四苦八苦する。

帰りに地元の本屋に寄るつもりだったけど、電車に乗るまえに途中の本屋を久しぶりに覗いてみたら、ジェフリー・ディーヴァーの文庫本の新作が並んでいたのを発見!ディーヴァーが私を呼んだのだ、きっと。購入する、千円なり。

今朝は6時に目が覚めたけど、ベッドの中でうだうだストレッチをしたので起床は6時半。ケンのご飯、人間のご飯を用意して、新聞をとって、ゴミを捨てて、ケンの散歩をして、草屋根に水をまいて、ブログを更新している。暑くなりそうなのに、一番気温が高い時間に学校に行くスケジュール。今からお茶を煮だして、持って行く分を冷やしておこう。

よい1日を!
by himarayasugi2 | 2012-07-10 08:30 | 雑感 | Comments(0)
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