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ヒマラヤスギ雑記

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ネットに書くことは、

ある女性の書きこみを先日の深夜、偶然目にした。おそらく、私がアクセスした少し前にされた書き込みだと思うのだが、内容がいつもの彼女らしくなかった。この女性は実名で発言をしており、私はたまに読みにゆくのだ。いつも理知的で、ポジティブで、元気いっぱいに仕事をしているのだが、その日のその書き込みはかなり疲れた内容だった。仕事でかかわっている相手に対しての怒りが、はっきりと書かれていた。確かに書かれていることは、働いていたら誰でも経験のある面倒くさい状況なのだ。ただ、いくら相手の実名を伏せたところで、書いている彼女が実名なので、読む人が読めば彼女をいら立たせている相手が誰だかわかるはずである。私は少し心配になった。

翌朝、また彼女のサイトにアクセスしたら、前の夜の衝動的で感情的な書き込みは削除されていた。きっと誰かに指摘されたというよりは、彼女が冷静に自分の書き込みを読んで、ここに書くべきではなかったと気付いて消したのだと思う。彼女のように実名で普段からネットを経由して不特定多数の人に情報を発信している人は、情報と感情の区別を意識しておく必要があると思う。もちろん情報に付随する感情もあって、それを書くこともあるだろうけど、ネガティブな感情を情報として発信するのは、リスクが高いかなと私は思っている。

私が自分自身のことを発信するのは、ネットではブログだけである。しかもハンドルネームを使用している。ミクシィのアカウントは持っているが、開店休業中である。日記すら書いたことがない。FBもツイッターもやっていない。ツイッターについては、やったことがないから(閲覧はある)、ツイッター関連のネットのコラムやらニュースからの情報だけでしか理解できていないけど、ツイッターというのは、「着想」段階のネタを記録する場所という印象がある(ビジネスの営業用ツイッターとはここでは区別する)で、ブログは、その着想群からエッセンスを抽出して文章化したものかなと勝手に思っている。私の「着想」段階は文章になってないので、ツイッターでの公開向きではない。そもそも携帯からネットに接続しないし。

多分、高校のときだったと思うが、実家の書庫にあった本(タイトルも著者も忘れた)に「本当に価値のあることは文字になって残っているものだけだ」(書物として残ったものという意味)という言葉を見つけて、ずっと覚えている。こうやっていつでも削除も編集もできるネット上に私が残しているものは、一体なんだろうなと思う。ハンドルネームで書くブログは、私は未来の自分の楽しみのためにやっていると自覚している。実名登録のFBについては、ブログとどう区別するのかとか、誰のためにやるのかということがよくわかっていない。おそらくブログに書いているようなこととはまた違うのだろうし(*1)(FBには、もっと具体的なハレの日の出来事みたいなことを書くのかな?)。そのあたりがクリアになったらFBにも登録できるとは思うけど。

*1:たとえば、本日のエントリーはFB向きじゃないと思うし、載せたら「~な人」認定されそう。ブログでは書いていないことで、自分が書いておきたいことは、研究とかその関連のことだけど、それを書くのはまた別の場所だろうなと思う。夫にFBってみんな何を書いているんかと訊いたら、読んだ本のことを書く人が多いとか。短めらしい。夫って、ほとんど更新しない。年に数回か?でもってそれが音楽の動画を貼るだけという更新のよう。なんか、らしい。
by himarayasugi2 | 2012-09-29 08:17 | 雑感 | Comments(0)
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