*まとめきれず、長い。
『クロワッサンで朝食を』を観に行ってきた。主演はジャンヌ・モロー@85歳。
雪深いエストニアで認知症の母親を介護しながら二人暮らしをするアンヌ(アラ50歳)は、12年前に離婚しており、母の介護のために2年前に仕事も辞めていた。母親の葬儀後に以前の勤務先から、パリに住むエストニア人の老婦人宅での家政婦の仕事を紹介され、パリに行くことになる。
パリ到着時のアンヌは、だぼだぼのズボンに、ブーツに、野暮ったい鼠色のキルティングのフード付きジャンパーをもっさりと羽織っている。色あせたニット帽をかぶって髪をすっぽりと中に押し込んでいる。彼女のことなど誰も見ないし、気にもとめない。初めてのパリに夜に到着したアンヌの不安と孤独が、画面から伝わってくる。不安だけど、期待もあって、興味津々でアンヌは夜のパリをながめる。
アンヌがお世話をする老婦人フリーダ(ジャンヌ・モローが演じる)は、大富豪の未亡人でとても裕福だ。しかし、彼女は気難しくて、今まで何人もの家政婦が辞めていき、友人もおらず孤独である。アンヌは朝食にスーパーで買ったクロワッサンと紅茶を用意するも、フリーダから「私にプラスティックを食べろと?」とクロワッサンを拒絶される。そして紅茶のお湯を床にわざとこぼされる。「パンは、スーパーでなくてパン屋で買うのよ!」と(賛成)。こういったことを我慢強く乗り越えてゆくうちに、徐々にフリーダにも受け入れられてゆく。この受け入れられてゆくプロセスはある意味予想通りなのだが、家政婦を手配したアンヌと同世代の男性が、フリーダの年の離れた昔の恋人だったこともあって、話はすんなりといかずに、ちょっとツイストがある、といった感じである。
ジャンヌ・モローは、孤独で、気難しく、プライドの高い、わがままな老婦人であるフリーダを貫禄たっぷりに演じている。しかも、作品で着ている衣装はすべて自前のシャネルなのだ。部屋着がシャネル!フリーダは普段から大きな南洋真珠の指輪もつけているし、無造作にいつでも、どこでもシャネルである。家でもシルクのブラウスにジャケットにカメリアのブローチに、パールのロングネックレス(オールシャネル!)を身に着ける。それがとてもエレガントであった。お茶には、白いカップに縁が銀色のシックなカップ&ソーサーが使われていて、これは60年代のウェッジウッドらしい。素敵だった。フリーダの生活は、パリのお金持ちの趣味のよいマダムの典型といった感じである。アンヌは、フリーダと接し、パリの空気を吸ううちに少しずつ変わってゆく。
フリーダはアンヌに「自分をもっと愛しなさい」「あなたはきれいよ」という。アンヌは50歳前後だけど、今からだっていくらでも新しい世界があるのだと説くのだ。アンヌはゆっくりとパリの住人になっていく。フリーダは彼女の着ていた鼠色のジャンパーを脱がせ自分の持っているバーバリーのトレンチコートを「あなたの方が似合う」といって贈る。そして、アンヌはヒールのある靴を履くようになり、スカート丈は膝丈まで短く、そしてタイトなものとなり、髪はふんわりとエレガントに高く結い上げるようになる。ストールは柔らかく、装いのアクセントになるようにするっと巻くのだ。
最後の場面で、アンヌがパリの街を一人で歩くのだけど、そのときすれ違った男性が、振り返って彼女の後ろ姿を見たのがとても印象に残った。アンヌはいつのまにか男性を振り返させるパリの女性になっていたのだ。
色々考えさせられる映画であった。まず、アンヌについて。彼女の年齢を考えると残りの人生を消化試合にするには若すぎるし、かといって20代のころのような可能性があるわけでもない。でもでも、自分を愛して、新しい人生をスタートするには遅すぎない、ということを自覚して実行することが大事だと思う。勇気がいる世代である。そして、フリーダについて。85歳で一人暮らす自分がまだイメージできないけれども、やはりこの年齢だと孤独とどう付き合うか、どう向き合うか、自分なりのスタンスを持つべきかと思った。やはり周囲に感謝できる老女になっていたい。
カフェにお洒落してゆく、とか、自分を愛して美しくするようにこころがけ、いくつになっても男性に振り返ってもらう、常に恋愛現役でいる、とか少なくとも映画の中のパリは大人の街だなぁと思う。85歳で「いつでもシャネル」は無理だけど、でも、ちゃんと異性の目を意識して、髪を美しく、上品な薄化粧を施し、膝丈のタイトスカートなどなど、「きちんとする」ことって大事だ。映画の本筋からは外れるけど、映画が終わったときに一番強く感じたことである。
そして半沢直樹:
香川照之が悪すぎて、爽快。悪役っぷりは芸術の域へと近づいている。同期の近藤は死なないよね?なんか、こう、一番心配である。あの黒いポタポタがまた画面に出てきたらどうしよう。今回の愛之助の出番はやや少ない。iPad野郎は、口ほどにもないやつだった。というか、こんなやついるのか。ちょっとねっちょりした口調は若干おねえっぽいけど、愛之助のほうがやっぱり切れ味抜群で、様式美がある。iPad野郎が登場する意味がよくわからんかった。利重さんのヤな感じは、リアリティがある。来週たのしみすぎ。