夜、浅田真央選手特集の『NHKスペシャル』を視聴する。むー、わざわざ特集を組んだわりには、目新しい映像も情報も少ないかなという印象である。バンクーバー五輪で金メダルをとった某選手と、そのとき銀メダルだった真央選手の間に20点近くの差があったのはなぜかという分析をしていた。それを番組前半に見せることで、真央選手が4年間にやってきた矯正の背景を視聴者に理解してもらう目的のようである。フリーの基礎点は真央選手の方が高いのに、某選手は、出来栄え点が真央選手よりも高かったから、結果、真央選手のフリーのジャンプのミスもあったために、基礎点の差をひっくりかえして某選手は点差を広げたのだ…という説明であった。ジャンプごとにそれぞれの選手がもらった出来栄え点明細まで表にして披露していた。これが勝敗を分けた理由だとしているけど、これはジャッジの加点が正しいという前提でただ情報を開示しているにすぎない。加点の妥当性(あるいは、信頼性、信憑性)と公平性(特定の選手への高加点・低加点の偏向の有無)についての議論が欠落しているのに、分析を行う意味があるのかなと思う。
いろいろとフィギュアスケートに失望していることもあって、少々露悪的で過激な言葉になりがちだけれども、オリンピック前でナーバスになっていると思って大目に見ていただきたい。
そういう番組ではあったけれども、見ることができてよかったなと思った映像が少しではあるが、あった。ひとつめは、真央選手がNYに行って、オリンピック用のフリープログラムの選曲をタラソワと話し合って決める場面である。狭いホテルの一室で、ロシア人の存在感ありまくりの女性二人と、ああいう濃密な空気の中で、その二人にまったくひるむこともなく、対等の存在感で話し合いに臨む真央選手がかっこよくて見惚れる。強くて自立してるー。
もうひとつは、試合中に佐藤コーチが真央選手に「頑張れ、頑張れ」と声をかけていたシーンである。フィギュアがスポーツであるからこそ、演技中にそういった声掛けがあるのだ。その体育会の試合っぽい舞台裏を見て、ぞくぞくっとする。
デッサンを習っていたときに、先生から人物を描くのが一番難しいと言われていた。それは、ほんの少しでもデッサンが狂うと誰がみてもすぐその不自然さがわかるのが、人物画だからだ。自分のものも含めて、日常的に人体を目にしているから、ほんの少しでも不自然な線があると、無意識にそれを感知し、「美しくない」とわかるという。つまり、素晴らしい人物画には、なにも不自然な点がないから、なにもひっかからず「当たり前に」見えるものなのだ。真央選手の動きは、それが氷の上で行われていることを忘れるほどに自然である。脚を背中を反って頭上高く上げたうえに回転するという、非日常的な動作ですら、自然に見える。氷上を複雑なステップを踏みながら疾走してゆくときにも、不自然さがないのだ。自然な速度(実はかなりの高速である)で、流れてゆく。だから美しいと思う。でも、それはフィギュアスケート選手なら誰でも同じように簡単にはできるわけではない。それが演技の難易度である。難易度の高い動きを自然に遂行することが、表現力であり芸術性と呼べるものではないかと思う。
なぜか日本のスケート解説者とか、メディアは顔の表情のみを取り上げて「表現力」について論じることが多いけど、なんでだろう。滑っているときの顔よりも、滑っている身体表現こそが表現力だと思うのだけど。ときどき、私は彼らと違うものを見ているのかと思うことがある。
せっかくの特集番組だから、真央選手の映像だけにしてくれたらよかったのに。無関係の選手をライバルだとかなんとかと煽る必要はない。全体的に残念な番組だった。