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ヒマラヤスギ雑記

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とりとめなく。

日経新聞朝刊の文化面は必ず読んで、いいなと思った記事は、クリッピングしてある程度たまったら、選んでファイルをしている。8月7日には、白髪一雄の《天雄星 豹子頭》の解説を東京ステーションギャラリー学芸員の方がされていて、その解説中に「自転車に乗れなかった頃には二度と戻れないように」というフレーズがあった。直接作品とは関係がないけれども、この箇所は記憶に残った。自転車の補助輪をとって初めてまたがったときのことを思い出したのだ。マンションの廊下で、幼少の頃の私は、1人で何回もよろけたり、こけたりしながら、練習していた。多分、1日で乗れるようになったと思う。

乗れるようになった瞬間は、ぼんやりと覚えている。情景を覚えているのではなくて、感覚を覚えているのだ。少し前までは、全く繋がっていなかった体の中のある回路が、突然繋がるあの感覚である。で、この「自転車回路」は一度繋がると、二度と断絶することはないようで、乗れるようになったら、乗り方を忘れないのが自転車なのだ。当たり前のようだけれども、今回、日経の文章を目にして、自転車って乗れない頃には戻れないのだと気づいたのだ。

「自転車回路」案件は、きっと運動を科学的に分析している分野ではとっくに解明されているのだと思う。それとはまた違う案件が、ネット、携帯、スマホ案件かなぁと、これまた昨日(だったと思う)の日経の記事を読んで思った。記事は、スマホ・ネット依存症についての短いもので、最近若い人を中心に増加していることが紹介されていた。記事が手元にないので曖昧だけれども、依存症の治療を行っている久里浜医療センターのデータも紹介されていたかと。

ネットから離れられない人のコメントとして、「ネットがなくなったらどうしたらいいかわからない」というのがあって、要するに「ネット(スマホ)がない頃には戻れない」という意味である。自転車も乗れない頃には戻れないけど、依存症とは無縁なのは、自転車回路というのが、本来繋がるべき身体の回路を、ただ反復練習によって接続させたものであるからかなと思う。それに対して、ネット、スマホ(携帯)というのは、心身のどこにも繋がる場所がないのに、身体や心に入り込んでいき、本来の接続場所ではないところを覆っていくからかなとイメージする。時間の感覚とか、そういうのは確実に麻痺させられている気がする(私の場合)。

でも、ネットはとても便利である。正直、ネットがないと困ることは沢山ある。宿の予約、交通網の検索、友人との最初の連絡、などはネット経由でやるのが当たりまえになっている。でもよーく、考えたら、ネットがなかったときは、ないなら、ないで、上記のことは時間と手間をかければ出来ていたわけで、ネットの便利さとの付き合い方は考えないとあかんとも思う。具体的に、どうするかとか浮かばないけど、ネットに頼らない部分を意識して残しておくとか、ある程度は、休肝日みたいなネット断ちの日も設けておいたほうがいいかなと思った。

あと、「人と繋がる」ことに関しての利便性は、ネットの登場で飛躍的に向上したのだけど、それについては、また別の議論も出てくるかなと思う。

とりとめなく。
by himarayasugi2 | 2014-08-22 09:30 | 雑感 | Comments(0)
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