今日から9月である。9月1日が週始めの月曜と重なると、夏休み終わった感が強烈で、平日モードMAXである。もう1年の三分の二が終わったのだ。今年も残るは4か月か。ここ数年、9月から年末までの4か月間が最も忙しくて、バタバタしている。1日、1日が濃い。無事に残り4か月を乗り切れますように。
昨日の日経の『半歩遅れの読書術』がちょっと面白かった。井上荒野さんが、ご自身の書棚の配列について書かれている。彼女の書棚には、「すぐ読む必要がある本」と「ときどき読み返したくなる本」と「必要ないけど処分できない本」という分類がある。この区分けは、(以下引用)「私の成長(あるいは成熟、もしくは老化)に応じてほとんど無意識的になされている。書棚には、今、よく言われるところの「自分史」があらわれている」(引用ここまで)とある。蔵書は少ないけど、私も似たような区分けをしていて、各区分けの棚に収められている本のタイトルなどを思い返していた。
「すぐ読む必要がある本」は、現在取り組んでいる案件の引用・参考文献である。超重要書物指定で、2階のスペアの椅子の上に塔のように重ねてある。わざと目立つようにしているのは、紛失しないためというのもあるし(図書館の本がほとんどだから)、貸出延長を忘れないためというのもある。他、2階にある本は、「ときどき読み返したくなる本」の一軍がある。ちょっと研究寄りの本がほとんど。そして「ときどき読み返したくなる本」の二軍は、柴犬関係のエッセーとかコミック、画集、インテリア関係の写真が多い本とかで、これはお客さんが手に取ってもいいようにおいている。小説などは読んだ後、一定期間は 2階に置き、その後1階の寝室の本棚行きとなる。「ときどき読み返したくなる本」の殿堂入りは、1階の寝室の本棚に集めている。この本棚こそ、自分の好みが色濃く出ていると思う。この本棚は、他人に見せるのは、ちょっと恥ずかしいと思っている。でも自分用に一度、デジカメで撮影しておいてもいいなと考え中。推理小説は、よほどのことが無い限り、1度読んだら古本屋に売る。それがディーバ―の単行本であっても、犯人を知ると2度と読む気が起こらない。そういう意味で、やっぱり推理小説というのは、読書ではないのかも。娯楽かな。
「必要ないけど処分できない本」は、翻訳をやっていたときの資料・文献である。ITの用語集などは、もうとっくに時代遅れだから捨ててもいいかもしれない。テクニカルライティングとかコロケーションの本とかはま、置いておこうかな。こういうのを全部捨てちゃうと、過去が消えるようでちとさみしい。
1度やってみたかったのは(もしかしたら何年か前にやったかもしれないけど)、9月1日のブログに、アースの『セプテンバー』の動画を貼ることである。ベタですいません。
昨日の夜寝る前にコピー用紙に、「今日やること」と書いて壁に貼っておいた。今日は、それに沿って、必ずやる(つもりのつもり!←意志の弱さにゲンナリ)。昨日は、一部リライトしたために、進捗率ゼロパーセントだったので。今日はもうちょっとやらなくては。