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ヒマラヤスギ雑記

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最近のメモ

ここ最近のことをまとまりなく記録しておく。

呪われている?
数日前に、パソコンに向かっていたら、チリチリチリとかすかな音が聞こえてきた。しばらくすると、焦げくさいニオイがしてきたので、あわててニオイの元を探したら、バックアップ用のサーバーから煙がでているのを発見する。すぐさまコンセントを抜いて隔離する。バックアップサーバーは、急遽購入して、なんとか復旧させる。

ところが、本日、すっごい雷が鳴っているなぁと思っていたら、「ピー」という鋭い音と同時に、ルーターがご臨終となる。Wi-Fiできません。1台のパソコンを直接モデムにつなぎ、プリンターもケーブルで接続し、とりあえずネット環境は確保する。夫に連絡をいれると、昼休みに「新しいルーター買ったで」とのこと。壊れたルーター、古すぎて修理対象外だった。

パソコン周りが呪われているような気がする。

電気工事の闇
生前父が夜中に海外のスポーツの試合やら映画を観るためだけに契約していたケーブルテレビを、解約した。だいぶ昔からケーブルテレビにしていたので、実家のテレビ環境は、地デジ対応ではない。なので地デジのアンテナの設置と古いBSアンテナの取り換えと設置の工事が必要となった。大昔に実家を建てた工務店に母が連絡して見積もりをとってもらったところ、かなり高額だった。ネットで調べたらだいたいの相場がわかる時代、この見積もり額は、実家の状況が仮に特殊だとしても高いのではないかと私は疑った。もともとその工務店の仕事はいい加減だと思っていたので、もう一社、家電量販店に見積もりを依頼したところ、家電量販店が出した見積もり額は、工務店が出した見積もり額よりも64800円も安かった。この差は、誤差の範囲とかではすまされないと思う。

もちろん家電量販店に工事は依頼する。工務店の見積もりには謎の費用項目がいくつもあり、それらが見積もり金額の半分以上をしめていた。機器の値段とは別なのだ。家電量販店から派遣された電気屋にさりげに聞いてみたら、都会のど真ん中で電気工事をするときは、駐車場所が、有料駐車場しかないので、そういう料金をあらかじめ現場雑費としていれておくことはあると教えてくれる。実家の前の道は広く、路上駐車になんの問題もないのだが。

父が生きていたら、工務店の言い値に文句を言わなかっただろう。実家の両親が、ネットで検索して金額の妥当性をチェックすると工務店も思っていないだろうし、実際したこともなかったようだ。それに今まで一度も相見積もりなども取らなかったし。工務店側は、私の実家はなにもわからないし、文句を言わないからと、いつものようにいい加減な見積もりを出してきたのだと思う。完全にカモにされていたのだ。今後、あの工務店とかかわることはないだろう。


ケンの不思議な習性:
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(1階の玄関と2階のおもちゃ箱を3往復して、おもちゃを玄関に並べていた。なんでそんなことするの?)








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# by himarayasugi2 | 2017-09-07 15:46 | 雑感 | Comments(0)

忘れない夏

今年の夏は、忘れられない夏になった。父が倒れて寝たきりになる。家で父を介護していた母が圧迫骨折になる。父を入院させる。父が入院4日目に亡くなる。そして告別式、その後の手続き、母の骨折治療、などなどの出来事が、セミの声をBGMに飛ぶように過ぎて行った。ずっと暑かった。個人的には、暑い日の朝に、動けない母に代わって父を入院させた日が、ここ数年ないくらい慌ただしかった。朝一番に入院先が決まり、訪問看護師さんと一緒に20分で入院の用意をし(看護師さんが、テキパキと指示してくださって本当に助かった)、10分で身支度をして、父と一緒に救急車に乗って病院に行った。あのとき母は、まだ骨折が痛くて家の中をゆっくりしか動けなかった。母には家で待っていてもらった。

ごった返す病院で、手続きのために何枚もの書類を書き、父の検査を待ち、病室を整え、主治医と画像を見ながら話す。その間、病室で待つ父の話し相手は、Tおばさんがずっとしていてくれた。本当にありがたかった。夫はこの日、急遽休みを取ってくれた。夫は車で病院に先回りして待っていてくれた。

救急車に乗ったのも初めてなら、入院手続きをしたのも初めてで、別室でCT画像を見ながら主治医と面談だなんて、ドラマの中でしか見たことのない風景だった。どこか現実感がなく、ちゃんと話はしていたのだが、遠くで聴いているようなそんな感じだった。

午後に一端病院を後にし、夫と昼食を取り、ユニクロに行って母が骨折を治療中の間に着用する服を買った。胸椎の骨折なので、骨が完全にくっつくまでコルセットをつけるのだが、その際にウエストは全部ゴムのパンツの着用が望ましいと医師に言われたのだ。で、買い物を済ませ実家に戻り、母を車に乗せて整形外科に行く。整形外科でコルセットを受け取り、それを装着してから、母も一緒に車で父が入院した病院へ戻る。病院でしばらく過ごしたあと、買い物をすませ、実家に戻ってぼんやりしていた。入院前日は、一睡もできなかった。

ずっと暑くて、セミがうるさかった。妹は中東に出張中だった。帰国するまでは知らせないでおこうとなっていた。帰国のタイミングとなったときに、メールで父の入院と母の骨折のことを伝えたら、すぐさまメールで、私のメールを読み朝の中東のホテルのベッドの中で「絶叫した」と返信があった。そうだろうな。私だってこういう展開になるとは思わなかった。

父は、入院4日目に亡くなった。病院が嫌いで入院したくないと言い続けていた父なので、悲しいけど入院生活が長引かなかったことは、よかったのかもしれない。

私はもっとしっかりしなくてはいけないなと思った。もう大人すぎるほど大人なのに、入院手続きする間も、救急車が家の前に停まったときも、想定外にてんぱっていた。救急車内では、みなさん話しかけてくれたり、ずっと優しくしてくださって、ありがたかった。救急車って、ほんとに信号でとまったりしないんだなとあらためて思ったり。

毎年セミの声をきくと、この日のことをきっと思い出してしまうだろう。

夏に撮った画像をあげようかなと思ったのだけど、それは後日どこかで。

今年の夏も、ケンは冷え冷えマフラーを巻いていた。 
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(ケンが留守番中に階段でつまずいたりしないように、1階と2階の行き来をときどき背後に見えるゲートで制限している)


母の圧迫骨折の経過は順調で、骨はちゃんとくっついてくれた。コルセットはもう外している。まだ重いものは持ってはいけないのだが、それ以外の家事などは普通にできるようになった。ウォーキングも推奨されている。








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# by himarayasugi2 | 2017-09-05 11:51 | 実家 | Comments(2)

ちょっとずつ日常モードへ

9月に入ってから急に秋の空気になった。カラッとしていて、爽やかな気候である。今朝は特に涼しくて、ケン散歩のときに夏中履いていた五分丈のパンツでは寒かった。九分丈のジョギングパンツに履き替えた。

私のリズムは少しずつ日常に戻ってきた。先々週の週末は、庭のオリーブとモッコウバラの剪定を行った。父のこともあって、庭に全く気が回らず(普段から気が回ってないけど)、モッコウバラとかオリーブが伸びすぎて、ご近所から完全に浮いていた。とりあえず最低限見苦しさを取り除こうと剪定をして、45リットルのゴミ袋5袋までやる。昨日は、土が痩せて保水力ゼロとなった草屋根に上る。とにかく、朝夕水まきをしても、全く足りなくてどんどん枯れていくのだ。で、枯れた芝とか雑草を取り除いて、土が痩せて減ったところに土を補充した。全ては無理なので、この作業は毎週少しずつやる予定。屋根にはコスモスが元気だが、ほとんど花をつけていない。百合は頑張って咲いてくれている。

いつだったかの週末は、夫と久しぶりに人混みにでて肉を沢山食べた。

今は大学が休みなので、毎朝散歩のあとはまず隣の実家にケンと顔をだし、父にお線香をあげて、母と話をする。午後もケンと隣に顔を出して母と話をして帰る。母は、毎朝父にハチミツ入りの紅茶を淹れている。今朝は、私が淹れた。

8月はずっと妹が実家で母のサポートをしてくれた。先週末は関西で仕事があったので、実家に泊まっていった。母は、苦手な書類仕事を頑張っている。
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(実家で書類仕事と格闘している母を見守るケン先生。妹撮影。)

私は、ケンキュウもゆっくりだけど進めている。今書いているものを提出したら、やりたいことがいっぱいある。まずは、提出できる状態にしなくては。それが心配。

落ち着いたら、とにかく物を減らしたい。食器も服も、気に入ったものだけを、適量持って身軽に暮らしたい。ものだらけの実家を見て思うのだ。実家の片付けもゆっくり進めてゆく予定。


追記:
昨日の夕方、80代くらいの男性が、かなりの老犬とゆっくりお散歩していた。ゆっくり、ゆっくりなのだ。老犬は日本犬の雑種で、前に実家にいたゴンちゃんに少し似ていた。すれ違うときに男性に「ワンちゃんは、おいくつですか」と訊ねたら、「18歳になります、おじいさんです」と男性はニッコリする。男性によると、目は視野が狭くなってはいるけれども、見えているらしい。認知症もちょっと出てきたけど、お散歩が大好きで、お散歩に行くとわかると、嬉しそうなんだとか。ゆっくり、ゆっくりだけど、丁寧に草をクンクンしていて、お散歩を楽しんでいるのが見ていても伝わる。ずーっと元気でいてね。 








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# by himarayasugi2 | 2017-09-04 10:30 | 雑感 | Comments(0)

その後の母 75歳のスマホデビュー

父名義の携帯とインターネット契約を解約するときに、母の携帯をどうするかとなった。父はガラケー使いで、友人との通話もメールもガラケーからだった。パソコンでインターネットもできたが、あまり使っていなかったようである。だから実家にネットは引かないことに決める。母は、家族割引でガラケーを安く持てたので、それをずっと使っていた。といっても、メールは一切せずに、通話のみである。父が亡くなり、母だけとなると家族割も使えない。携帯契約は、家族だと割安だけれども、個人で契約すると高いということを知る。

母の72歳の妹(東京の叔母)も、母の弟の配偶者(アラセブン、Tおばさん)も、ご近所の仲良しTさんの奥様も、みなスマホを使っている。Tさんの奥様(78歳くらい)は、海外にいるお嬢さんとは、頻繁にスカイプで会話されるし、なんでもさくっとネットで検索したり、ネットで予約したりと、パソコンもスマホも使いこなしている。母が毎日のように長電話をするMさん(母の同級生@75歳)は、携帯こそガラケーながら、パソコンで買い物はするし、メールを打つのも早い。こうしてみると、メールもやっていない母だけちょっと出遅れているように見える。

ネットを解約したことを考えて、母にスマホを持ってもらおうとなる。ガラケーでもスマホでも母1人で契約する分には、月々のお金はほぼ同額ということも後押しした。格安スマホは、今まで携帯メールも使ったことがない母には、ハードルが高いかなぁとなり、普通にらくらくスマホになった。色は赤(白とか黒だとエアコンやテレビのリモコンと間違いそうだし、赤だと探しやすいしいいと思う)。あとで、格安スマホでもらくらくスマホみたいなのがあることが判明したが、ま、いいでしょ。

とりあえず、母にはラインとメール(キャリアからもらうアドレスに加えてGメールアカウントも作った)と通話の方法を指導し、画像の保存の仕方、スタンプの送り方、アルバムに画像を保存する方法などなども指導する。といっても、何度も同じこと訊いてくるし、親切すぎるほど親切なマニュアル(お年寄り向けだからわかりやすい)も「何が書いてあるのかわからない」と全く手に取らない。なので、こちらからラインしたり、メールを送ったりと、とにかく使え、使うんだ!攻撃をし続ける。練習あるのみなのだ。海外のお嬢さんのところに遊びに行っているTさんの奥さんからラインが届き、母は「海外からラインがきた」と驚いたり。でも、少しずつ便利なことがわかってくるようになる。

でもやっぱり、グーグル検索の方法やラインのスタンプの送り方は3度も訊かれるし(3度めには、「メモに書いて」と指示)、動作一つ一つが自信なさそう。慣れるしかない。あと、母は最初の5分間は通話無料プランにしているのだが、私の自宅の固定電話にちょっとしたことで電話するのに、スマホからかけてこない。理由を訊くと、固定電話にかけるときは、固定電話からでないとだめだと思っていたという。独特の思い込みを発動するのだ。母、75歳、らくらくスマホマスター(?)への道は険しい。

私は、去年の7月1日からスマホを使っている。母の様子を見ていると、こういう文明の利器は、使わないのなら使わない、でも、使うのなら早めに使わないと慣れるのに時間がかかるというのがよくわかる。という私も、通話とラインとメールとカメラ、それと手持無沙汰のときの暇つぶしにニュースを見るくらいしか使ってない。画面が小さいから、ネット検索とかやる気も起らないし。

こういうメカに弱い母に、今更スマホを持ってもらうのはどうかな、ガラケーでもいいかな、と最初は思ったのだけど、母の周囲の友人がみなメールやラインを使いこなしていることを考えたら、持つことで友人とコミュニケーションを頻繁に取れるかなとも思ったのだ。わざわざ電話するほどでもない用件とかを気軽にラインしたりね。父がいなくなって、1人家にいる母にとってスマホで友達と連絡をとることの意味は大きいと思うし。私は隣に住んでいるけど、やっぱり母は、母の友人と過ごすほうが楽しいだろう。そういう友人とのお付き合いのお供にいいかなと。

母のスマホとの格闘の日々については、また記録予定。










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# by himarayasugi2 | 2017-08-31 18:47 | 実家 | Comments(0)

父について 4 エンディングノート

父の死後、父名義で契約していたものの解約などを中心に、実家にかかる費用をシンプルにわかりやすく、見直すことになった。妹が8月滞在中に中心になって手続きをやってくれた。と、書くと2行くらいで終わるのだが、実際はわりと大変だった。

最近、エンディングノートのことはよく見聞きする。父が生前最後に参加した学生時代の友人らが集うゴルフコンペの参加賞は、エンディングノートとボールペンだった。同じゴルフコンペに参加した父の友人のAさんは、几帳面な方で、突然亡くなっても家族が困らないようにとエンディングノートに、クレジットカード、銀行、証券、通帳、印鑑、パスワードなどなどの情報を、参加賞でもらったエンディングノートにきっちりと書かれたという(Aさんは、ご健在)。しかし、父はコンペの参加賞のエンディングノートには何も書かなかった。開いてもなかったかもしれない。そういうのが嫌いだったのだろう。

だから、父が何の会員で、何を契約していて、どういったものが引き落とされて、引き落とし口座はどこやねん、その印鑑はどれやねん、他に口座はあるんかい、パスワードはなんですか?みたいな情報は、父が亡くなった時点で、わからないことが多かった。母、妹、私、夫の4人で手分けして、手がかりとなる書類(領収証とか引き落とし通知とか)を探すことになった。

父の机の引き出しやら、キャビネット、ファイルボックスの中のものを全て出し、みんなであれやこれやとそれらしい書類を探したのだった。その間に、新品のポチ袋が、ポチ袋屋さんができるほど発掘されたり、小銭があらゆるところから出てきたり、時計やらメガネやら付箋やらが沢山出てきた。手帳が何冊も出てきたので見ると日記だったりする。そういったものは全て母に渡した。父がいろいろな美術展に行ったことも、何枚もの絵ハガキが入った封筒を見つけて知った。父は、フェルメールの《天秤を持つ女》の絵葉書を3枚も買っていた。複数枚絵葉書を買っていたのは、この作品だけだった。

みなで探していたときに母が、「そういえば、システム手帳に書いておいたって言っていたような」と思い出し、黒革のシステム手帳を開くと、パスワードとか、どこに連絡をすべきかについて、などについて書かれてあった。

そうやってインターネットを解約し、ケーブルテレビ(父が夜中に海外のスポーツの試合を見るためだけに契約したようなもの)も解約し、メンバーシップも解約し、引き落としになっている会費なども把握し、なんとか落ち着いた。母は、父が生前メンバーシップを登録していた組織などには後日、連絡をいれた。妹は、ややこしい契約などの解約を全てやってくれた。

このような作業を行っているとき、どんどん父が生きていたという記録が世の中から消えてゆくなぁと思っていた。社会制度の上でも「故人」になってしまった。それはやはり、さみしさを伴う作業であった。でも、本当の意味での人間の死とは、誰の記憶からも消え、誰も思い出さなくなることだと思う。思い出すことで、やっぱり父は存在すると思っている。


父が開きもしなかったであろう、ゴルフコンペの参加賞であるエンディングノートは、同じく参加賞で父がいただいていたボールペンと一緒に、夫がもらうことになった。まだ白紙だけど。やっぱり、ちゃんと記録しておくと残された家族は助かると思う。









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# by himarayasugi2 | 2017-08-30 17:45 | 実家 | Comments(0)