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ヒマラヤスギ雑記

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『外事警察』と『JIN』

『外事警察』ラスト1話を残すのみ。
恐ろしいドラマだが、一度テレビの前に座ると夢中で見てしまう。画面の光と闇のコントラストが強すぎる。光は官房長官にしか当てられていないが、不自然な光は闇よりも不気味である。官房長室のシーンは、バロック絵画によくある構図にも見える。セリフがなくても画面は雄弁だ。劇的に展開しそう。

運営者と協力者の関係は、愛子の「あなた(住本)が言うならやる」という言葉に凝縮されている。お金ではないのだ。互いに必要としていないと、この関係は成り立たない。どちらが優位ではなく、イーブンの関係なのだ。陽菜は、どこかで運営者である自分は協力者よりも上の立場であると思っていたのではないだろうか。極限まで精神を追い詰められている協力者は、運営者が本当に自分を守る気持ちがあるのかどうか、とても敏感に察知する。結果として守れなくても、その気持ちが本物かどうかが重要なのだと思う。私には運営者はできない。精神がやられそうだ。
来週最終回。とんでもない真相が明らかになりつつある。怖いけどそれもあと一回だけ。

『JIN』こちらもラスト1話を残すのみ。
咲の気持ちを今まで気がつかなかったのは、あまりにも酷いのではないだろうか。本日の仁先生は、なんとなく疲れた感じで、野風と咲の両方から想いを寄せられるようには失礼ながら見えなかった。咲の一途な想いと正義感の強い真っ直ぐな人柄に惹かれ、仁の優柔不断な態度に腹の立つ今日の話であった。

龍馬はどこに行ってしまったのか。一人で時空を超えてしまったのだろうか。夜に湖へと落ちる瞬間、灯りが消え、野風の万華鏡が割れる。テレビの前で鳥肌が立った。野風は乳がんと診断されて、見受けの話がご破算になることを望んでいたのに、仁は恋人の未来のことばかり考え、目の前の病から目をそむけようとしている。今日の仁は、医者ではなかった。そのときに医者としてすべきことを行うことでしか、未来を救うことは出来ないのではないだろうか。歴史と駆け引きをして、未来だけを救おうとするのは仁のエゴだと思う。そもそも彼は、一人の医者にすぎないのだ。迷いから抜け出して、医者としてやれることをやる、そういう最終回となることを期待したい(熱くなりすぎ)。あー、来週が楽しみ。85分で本当に片がつくのか?
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# by himarayasugi2 | 2009-12-14 00:06 | エンターテインメント | Comments(0)

ジュリー&ジュリア

アメリカの食卓に本格的フランス料理を初めてもたらしたジュリア・チャイルドが、フランス料理研究家として認められるまでの実話と、そのジュリアの524のレシピを365日間で全て作り、それをブログに書いて作家になったジュリー・パウエルの実話を併せた映画。メリル・ストリープが、ジュリア・チャイルドをそっくりに演じている。役者って、こんなに凄いのっていうくらい楽しそうにジュリアになりきっている。

ジュリア・チャイルドは誰からも愛される人柄と、前向きに一生懸命、明るく努力する姿で一気に感情移入ができる。パリのプロ料理人コースのクラスでの「どうせおばさんの暇つぶしだろ」みたいな冷たい視線をはねかえすべく、家ではタマネギのスライスの練習に明け暮れ、頑張って頑張ってクラスメートに一目置かれる存在になる。おばさんが認めてもらうには、本気でやるしかありません(独り言です)。

50年後のニューヨークでは、仕事にやりがいを見つけられず、友人の活躍を羨むジュリー・パウエルが、今までの何をやっても中途半端な自分に見切りをつけるべく、料理ブログを始めることを決意。正直、こちらには感情移入は難しい。ジュリーは自分勝手で、子供っぽくて、文句ばかり言う。自分を見ているよう。プロジェクト終了後には成長できているのだろうかと、本気で心配してしまう。かなりカリカチュアライズされているとはいえ友人達のキャリアウーマンぶりは、相当嫌な感じであるが、ジュリーは友人達と比べて、気力も努力も足りない。

キーワードは、「美味しいものは、人を幸せにする」と「人生、本気で変えたかったら諦めない」だろう。(少しネタバレ→)ジュリーも、初めて目標をクリアできて最終的に作家になることができた。ジュリアは、長い時間かけて一切妥協することなくフランス料理の本を上梓する。二人の女性がこつこつやって、最後に目標を達成して映画は終わる。
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あまり大ヒットしそうな感じではないけれど、最近ちょっとやる気でないなーって人は見ると少し元気になれると思う。映画鑑賞者には、映画で何度も映るル・クルーゼ鍋のマグネットが配られた。気が利いている。

ジュリアのように、豪快・爽快・大胆だけど、エレガント、でも粘り強くてやるときはやるというのが素敵。料理をするときも、パールのネックレスにハイヒールだった。わお。

What's for dinner?
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# by himarayasugi2 | 2009-12-13 08:24 | エンターテインメント | Comments(0)

ダイニングテーブル

現在の住居への引越しを機に買い換えた家具は、ダイニングテーブル。それまでの住居ではスペースの関係上、小さなテーブルしか置けなかったのだ。建築家Mさんが、食事をする場所を家で最も良い場所に置くことを提案されたこともあり、大きくて、多目的に使える、家の中心となるテーブルを新居の竣工までに見つけることにしたのだ。

木目を生かした経年変化を楽しめる木の大きなテーブルで、脚はよい意味で存在感のないもの・・太すぎないものを探した。脚が太すぎないという条件をクリアするテーブルはなかなか見つけられなくて、何ヶ月もインテリアショップを歩き回った。7件目くらいに入ったお店で展示してあるテーブルを見て、私も夫も「これだ」と思った。大きさも十分だし、なんといっても脚が太すぎず、かといって頼りないわけでもなく、天板を支えるのには十分にしっかりしているが、出すぎた感じがしないのだ。天板も脚も楢材。表面が、とても丁寧に仕上げられていて、シャープな印象だけれども、冷たくない。前から思っていたのだが、木のテーブルでも妙にカントリーなものとかがあるけれども、ああいうのは好みでない。大人っぽくて、温かで、「シュッとした」デザインのものが欲しかったのだ。
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(キッチンから見たダイニングスペース。ピアノの後ろは一階へ降りる階段。)

食事をする場所を、家の中で一番いい場所にするというMさんの考え方に共感している。家全体が居心地よくなるから。大きくて頼りがいのあるテーブルの周囲には、人が集まる。読書や書き物をするときも自然とテーブルに向う。テレビの画面が大きいよりも、テーブルが大きいほうがずっといい。

テーブルは、isDesign(イズデザイン)という芦屋にあるインテリアショップのもの。制作者の岡田さんは、まさにテーブルと一緒で、「シュッとして」いて、お洒落で、温かい方。作り手を知っていると、余計に愛着がわく。
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# by himarayasugi2 | 2009-12-12 08:00 | モノ | Comments(2)

香山リカ『しがみつかない生き方』と勝間和代

普段生き方指南とか、自己啓発だけのために書かれた本は読まないことにしているが、この本は本の帯の「<勝間和代>を目指さない」という挑発的な文句に興味を持って読んでみた。あの「勝間和代」にどのように挑んでいるのかちょっと見たかったのだ。
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香山リカさんに本の帯で「目指すな」といわれている勝間さんは、いまや本を出せば話題になり、彼女の熱心な信奉者は「カツマー」と呼ばれている。時の人である。勝間さんの本は一冊も読んだことがないが、テレビや雑誌やネットのインタビューだけで印象を述べると、仕事、日常生活、お金、向上心、日常発生する作業について、数値化して説明されるのが上手だと思った。例えば、毎日X%だけ改善をする努力を続けると、一年後にはX%の改善につながる、とか、普通預金X円で、利息X円を得ようとしたらX年かかるから、止めたほうがいいなど。小気味よいくらいに数値化して説明をされる。テレビでも非常に論理的で、具体的な数字を挙げてお話される。日常生活、社会で起こる事象をデジタル化し、効率化を目指す人という印象を持っている。

その勝間さんに本の帯で喧嘩売っている印象すら与えている本を読んでみたが、正直、本の帯ほどのインパクトはテキストから感じられなかった。帯の文句は、出版社の販売戦略だったのか。わかったのは、どうやら香山さんは勝間さんのことがあんまり好きでないみたい、ってことくらいで、わざわざ勝間さんの名前を出すような内容ではなかったような。普通の生き方指南書と思った。

香山さんの本の第1刷発行は2009年の7月なのだが、それから5ヶ月後の12月に勝間さんは、この香山さんに反論する本を出版した。それが『やればできる』である。この本も読んでいないし、その予定もないのだが、不思議なことに私は初めて勝間さんに好感を持った。この人でも反論のためにすぐに本を出版するようなことをやるのだと。これも効率化なのだろうか。

雨の日のケンちゃん、
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# by himarayasugi2 | 2009-12-11 08:00 | 本など | Comments(0)

季節はずれの話

先日帰京した叔母からきいた話。

今年の8月15日の早朝5時ごろに、ベッドの中で叔母は目が覚めた。ベッドの足元に、真夏だというのに、グレーのコートにエンジのマフラーを巻いた祖母が立っていた。祖母は、「ったく相変わらず、部屋ちらかってるわね」と言い出しそうなあきれはてた表情で、寝室を見渡していたそうだ。叔母は、声にだして「あれ、おばあちゃん、死んだんとちゃうの?」と普通に話しかけたものの、祖母は聞えないようだったそう。叔母がふっと枕元の時計を見たその瞬間に、祖母はいなくなったとのこと。「もうね、夢とかそういうのじゃないんよ。生身の人間がそこにいるのよ。リアル、リアル。普通におばあちゃんが、立ってたんよ。あれ、生きてたっけって、なんで此処にいるのって本当にそのときは思ったもん。全然怖くもないし。」お盆だし、帰ってきて何か言いたかったのかなぁって話を、ケーキを頬張りながらする。

私が祖母と最後に話したのは、亡くなる一週間前。病室で二人っきりで話をした。そのとき「私の集めた骨董とかのことやけど。気に入ったものがあったら、みんなで使ったらええから。でも、業者さんに売ってお金に換えたりはせんといてね。約束ね」と言った。業者は祖母が生涯かけて集めた大事な骨董を安い値段で買い取って高く売るから、絶対にプロに売り渡さないで欲しいということだった。大切に使って欲しいのだと思った。もし、骨董を大事にできないことが身の回りで起こったら、そのときは大事にしてくれる人にお譲りする。

「へー、ちゃんと約束を守ってくれそうなあんたには、そういうことおばあちゃんは、言うんや。私には特になんも言うてくれへんかったわ。ふーん」と叔母。だから叔母にだけ、祖母は何かを言いに出てきてくれたのだと思う。何を言いたかったのかなぁ。

東京の叔母についていうと、こういったエピソードは、枚挙に暇がない。霊感みたいなのがあるのかもしれない。
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(なんとなく選んだストック写真)
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# by himarayasugi2 | 2009-12-09 08:47 | 雑感