母の実妹である東京の叔母(以下、S叔母)が、帰国した。年明けにフランスへ旅立ち、一か月のホームステイ&語学研修を終え、その後単身「
コンポステラ巡礼の旅路」を巡ってきた。S叔母は79歳。出発前のS叔母は、Wi-Fiが何かも知らず「ウィーフィー」と呼んでいるレベルで、ネットは普段から全く使わない人(スマホはライン使用のみ)。当然、Myパソコン持ってない。だのに、フランスの語学研修は、行く前からオンラインでの手続きが必要だし、研修中は生徒が各自の端末を使って課題をこなし、授業に参加することが求められている。資料のダウンロードだって当たり前にある。
それを聞いて妹と私は「おばちゃん、大丈夫なんやろか」と心配していたけど、S叔母の3人の子供(=私の従兄弟)はみな理系なので、出発前に端末も購入して設定も済ませて、使い方もちゃんと教えるだろから、私らが心配することないか、と静観していた。年明けの出発なのに年が明けてから端末をそろえたみたい。ぎりぎりやん。
S叔母は帰国してすぐ電話をくれた。めっちゃ楽しかったみたいで1時間もしゃべりまくってくれた。以下、覚えているうちに叔母の話に基づく「なんとかなったフランス、スペイン」の記録。
出発前:
事前にクラスメートに向けての自己紹介を所定のサイトに入力するという最初のハードルに大騒ぎしていたらしい。どうなったのかは知らない。なんとかしたのだと思う(私の従兄弟が)。年が明けてすぐ端末を準備したらしい(私の従兄弟が)。あとでわかったのだが、タブレット端末を用意したみたい。
行先&旅程:
最初の一か月はフランスの北西部の地方都市での語学研修。宿泊はホームステイ。語学研修後はS叔母たった一人でスペインのコンポステラの巡礼路を一か月かけて回った。マジョルカ島もついでに立ち寄ったらしい。そして帰国。
一か月の語学研修期間中:
S叔母のホームステイ先は77歳の夫婦二人暮らしの一軒家だった。二人ともとってもよい方で、奥様はお料理上手で毎日ご飯が楽しみだったそう。夫婦は英語が全く話せず、S叔母のフランス語が通じないときは、互いに英語とフランス語の辞書をひきながらコミュニケーションをとったらしい。ホームステイ中は、平日は朝と晩の食事、週末は朝昼晩の食事が提供される。庭で野菜を育てているので、庭の野菜を使ったポタージュが前菜に出てきて、そしてメインへ続くそう。ポタージュはいつも違う野菜で作っていて、それがとても美味しくて作り方を教えてもらったとのこと。グラタンも美味しかったし、なんでも美味しかったと話してくれた。
語学学校では4つあるレベルのうち、下から2番目のクラスになった。のんびり勉強するつもりでいたら、みんなめちゃくちゃフランス語が上手で焦ったらしい。ちなみに学校全体でも日本人はS叔母と部分参加の若い男性と、最終週にインテンシブを受けにきた女子大生だけ。若い男性とS叔母は同じクラスだったらしい。79歳というのは、最年長で、あっというまに学校で有名になってしまった。授業中に配布される資料はすべてオンライン配布で、各自ダウンロードして画面で見るのだが、S叔母はキーボードのないタブレットのため、うまく操作ができなくてまごついていたら、学校の人が「特別ね」とS叔母の分はプリントアウトしたものをくれたらしい。「助かったわー、みんなめっちゃ親切で、なんでも訊ねたら教えてくれるのよ~♪」だって。S叔母は画面で資料を読むのは一度に何枚も読めなくて不便だと思っていたので、机いっぱいに資料を広げてご満悦。
授業で一度、「自分の国の人で世界的に活躍している人についてみんなに紹介するスピーチをする」という課題があったのでS叔母が「大谷翔平」についてスピーチをしたら、誰も大谷翔平を知らなかった。みんなググって「あ、この人が大谷翔平なんや」と初めて知ったらしい。ヨーロッパの人は野球に興味ないから当然なのか。
クラスメートはスペイン人が多かった。彼らはみな最初からすごく流暢なフランス語を話していた。年齢は30代前後が多かった。豪華客船で働くスペイン人シェフがフランス語を上手くなりたいと参加していたり。そのシェフは五か国語が話せるんだとか。
語学研修も最後の日、クラスメートの68歳のポルトガル人の弁護士が「期間延長しなさい、一緒にもっと勉強しようよ」と熱心に勧誘してくれたってさ。クラスメートらはみな、奮闘しているS叔母に親切にしてくれていたみたいで、S叔母も嬉しそうだった。
週末はパリに行ったり、オランダ滞在中の孫と落ち合ってモンサンミッシェルへ行ったりしていた。モンサンミッシェルの写真を一度だけ母に送ってくれたのだけど、S叔母が来ている上着がちょっと薄いんじゃないかとは思っていた。大雪で語学研修が休みになるくらいフランスは寒いはずなのに。それを言ったら、なんとS叔母、寒いヨーロッパに備えてフード付きのダウンのロングコートをわざわざ用意したのに、日本で出発前に空港をうろうろしているうちにどこかに置き忘れ(*1)、ダウンコートがないことに機内で気がついたそう(なんといううっかりミス)。幸い薄いダウンジャケットをスーツケースに入れていたので、それの下にカシミアとか手持ちの衣類を重ね着しまくって寒さをしのいだとか。なんとかなるものである。でも、写真では結構寒そうに見えた。
語学研修後:
研修を終えて、S叔母は念願のコンポステラ巡礼の道をめぐることになる。S叔母は自分ではWi-Fiを用意していなかったので(Wi-Fiが使えたのは語学学校の中だけ)、ネットに頼らないで一か月回るのだ。といっても、これまでも彼女は海外に何度も一人旅をしている(*2)けど一度もネットを使ったことがないので、彼女的にはいつも通り行き当たりばったりのアナログ旅である。
私「ホテルは予約していったの?」
S叔母「うううん、駅についたらそのつどインフォメーションに行って予約してもらう、地方はいつも安い宿を紹介してくれるよ、ま、私がぼろぼろのかっこだからだと思うけど」(*3)
私「電車の切符は?」
S叔母「最近はみんなネットでチケット買うのね、それは困ったのよ、そういうときは駅員さんにきいて、自販機で買った、スペイン語表示の自販機でわからなかったらまたその辺の人に聞いたりしたら、みんな『やったるわ』って私の代わりに買ってくれるねん、みんな親切やわ、助かる~♪」
S叔母のいいところは、不明な点は躊躇なく質問できるところだと思う。全くもって物怖じしない。あの迫力で来られたらみんな「しゃーないな、やったろか(=しかたがない、やってあげようか)」となるだろう。彼女は絶対にあきらめないので、相手するしかないのだ。
そんな感じでS叔母はスマホが使えないというハンデを克服し、フランス語もうまくなって、コンポステラとマジョルカ島をエンジョイして無事帰国したのだった。
お金の話:
S叔母がびっくりしたのは、大都市の物価である。バルセロナで「普通の、カジュアルな、若い人向けの」店に入ってパエリア1人前とペリエを頼んだら、日本円で5000円だった。日本でいえば、吉野家で牛丼とウーロン茶を頼んだら5000円だった、みたいな衝撃らしい。「そのパエリアがまた、めちゃくちゃまずかったのよ、あんたのご主人が作ってくれたパエリアのほうがずっと美味しかったし、量も多かった」と猛烈に憤慨。別にその店の問題ではなくて、円安のせいなのだ。他もどこでも安そうな店も全部高くて、コンポステラを一人で回っていたときは、外食は1日1回だけにとどめ、あとは外で買ったものを宿で食べていたそう。パリもマドリッドもバルセロナも、大都市はホテル代は猛烈に高く、普通のビジネスホテルみたいなのが素泊まりでも2万円前後かかったそう(パリはオリンピックを控えているからか特別高かったらしい)。ただ、コンポステラを回っていた期間に宿泊した宿は、一泊8000円から9000円(素泊まり)くらいで、わりといい部屋だった。地方都市ということもある。私が先日税込み2500円で美味しいコース食べたと言ったら、「そりゃ、外国人が日本は安いと押し寄せてくるのもわかるよね」と納得していた。
クレジットカードの請求が今から恐ろしいと、電話の向こうで震えていた。
S叔母は滞在中、風邪ひとつ引かず元気だったそう。
S叔母は私との電話で大谷翔平選手が結婚したことを初めて知った。反応は「あらまぁ、よかったじゃない」という親戚モードだった。
成果:
S叔母にとってフランス語は第三外国語になる(第二外国語はドイツ語)。研修最終週にやってきた日本人女子大生がS叔母のフランス語について「帰国してすぐ仏検2級を受けたら合格すると思う」と言ってくれたそう。それからS叔母は私との電話ですごくナチュラルに「Wi-Fi」のことを「ワイファイ」と話していた。すっかりWi-Fiは理解できていたのだった。すごい。
なんとかなる:
S叔母の話をきいていると、私はなんでもかんでも最悪を想像してしまうし、心配性かなと思った。今まで、いったいいくつの石橋を渡る前に叩き潰してきたことだろう。私はWi-Fiはなにか知っているし、S叔母よりも20歳も若いからもっと思い切っていこうとちょっと反省した。
*1)帰国後すぐ電話したら、東京某警察署で預かっていることがわかった。近日中に受け取りに行く。
*2)イギリスとかエジプトとか、何度も一人旅をしている。怖いもの知らず。
*3)質素な恰好でインフォメーションで宿探しを頼むといつも安めの宿を抑えてくれるらしい。無鉄砲に見えてもS叔母は、インフォメーションは明るいうちに行くとか、用心するところは用心している。危険な目には合わない人。
・