3日の夜は、テレビを見ないでおこうと思っていたのだが、『ダイハード4.0』を見てしまった。これでダイハードは1から4.0まですべて観たことになる。シリーズ1作目が一番面白くて、これは仮にダイハード5、6と制作しても変わらないと思う。結局ダイハードの面白さというのは、アナログのジョン・マクレーンが、筋力、状況判断力と知力だけで、人数と装備でマクレーンを圧倒する犯罪集団を一人、一人片付けていくプロセスにある。なので、相手がサイバーテロでも対峙するときは、フェイス・ツー・フェイスの肉弾戦で勝負をつける。設定が変わってもマクレーンのやり方はいつも同じだ。不思議なことに、いくらネットだ、ケータイだと世の中がすすんでも、このマクレーンのやり方が正しいと思ってしまうし、このアナログ力で勝利して欲しいと思う。そういう意味では、ダイハード1は原点であり、面白エッセンスがたっぷりつまっている。シリーズ2以降は、1をちょっといじって焼きなおしたような印象を受ける。
『ダイハード4.0』でマクレーンの娘の成長を見て、彼がもう「おっさん」の年齢に達したことがわかる、登場の仕方も冴えない。ちょっとありえないと思うことは、あれだけの大事件を今までたった一人で解決に導いてきた経歴のわりに、なぜか閑職におかれているようで、それが映画らしい。『ダイハード4.0』のサイバーテロの手口は、観ててもさっぱり何をやっているのか理解できないのだが、わからなくても映画の筋を追うのにまったく支障がなくて、画面さえ見ておれば誰でもわかる。ギリシャ語吹き替えでも案外わかるような映画。今回は、ハッカーの青年の助けを借りて、ラストには青年も成長し、娘とも和解しというエピソードがあるけど、とってつけたよう。でもまぁ、ばんばん爆発するし、はらはらするし、爽快だし、ストレス解消にはもってこいだと思う。
(夫が今朝(1月4日)草屋根の上から撮影した日の出。)
ひとつ不満をあげると、『ダイハード4.0』のラスト。テロの親玉(ガブリエル)を殺す際に、自分の体に銃弾を貫通させて、真後ろにいるガブリエルの心臓を狙うというやり方は、なんだかすかっとしなかった。夫もそうだったようで、「おーい、それはないんとちゃうんか」と叫ぶ。やっぱり、眉間に銃弾をぶちこむ(おおこわっ!)とか、なんとかすっきり殺って欲しかった。ぶっそうな文字ばかりが並びそうなのでこのへんでやめておくけれど。
シリーズで一番好きなラストは、シリーズ2のラスト。テロリストが搭乗した飛行機から漏れるガソリンに、離陸寸前でライターを落として着火・爆発させるというもの。炎がさーっと飛行機に向かって走っていって、残酷だけれども美しいラストだった。設定がクリスマスというのも好きだったのだが、シリーズ3からは設定が変わり、ちょっと残念。
(上の日の出を拡大したもの。よい一日を。)
通常モードに戻さなくては。年末からテレビ視聴時間が長すぎると思う。反省。