NHKスペシャルが企画した、冬季五輪選手たちの肉体の秘密を、特撮を駆使して迫る
番組第一回を視聴した。番組は、アルペン滑降(ダウンヒル)の金メダル候補である、ノルウェーのアクセル・スビンダル選手に密着する。ダウンヒルという種目は、最高速度160キロで急斜面を滑降しタイムを競うもので、2キロほどのコースには、ターン、ジャンプ、急斜面で高速スパートという難所がちりばめられており、一瞬の判断ミスが死を招く危険性もある競技だということを、初めて知った。160キロのスピードは、体感速度は、それを上回ると思うが、想像もつかない。160キロで滑降するシミュレーション映像を観たが、ビデオの早送りのようだ。スビンダル選手は滑降中、1分間に1回しか瞬きをしない。これは、極限の状態に置かれている人間が、最大限集中している状態らしい。
番組の検証でわかったことは、スビンダル選手は無駄のない姿勢で、抵抗を極限まで抑え、スピードを最大限にだしていることだった。彼は5秒間で50キロ加速できるのだ。スピードが怖くないのだろうか。技術的な面だけでは説明しきれないスビンダル選手の滑りの秘密は、彼の心にあった。オリンピックレベルの選手の場合、この種目ではスピードの恐怖とどこまで闘えるかが、勝敗に、そして生死にも関係するのだ。
スビンダル選手は、2007年にアメリカの大会で、ジャンプでバランスを崩して転倒、顔面骨折およびスキー板が体に刺さる大怪我をした。大会で怪我をした一流の選手が、体が戻っても、表彰台になかなか復帰できないのは、スピードを出すことが怖くなってしまうからだ。そんな中、1年後、スビンダル選手は見事同じコースの大会で、以前よりも早いタイムで優勝した。敢えて怪我をしたコースで復帰することを最初から決めていた。事故の恐怖を完全に克服したのか?脳の映像を見ると、スビンダル選手の脳は大怪我の恐怖を決して忘れてはおらず、彼は死と直面した記憶を抱えたまま滑っていることがわかった。強靭な精神力で恐怖を抑え込んでいるのだ。
スビンダル選手は、恐怖を味わってからが競技者として成長できたと言う。恐怖の正体を知ることで、心身の限界を見て、「その限界を超えるために、安全装置をはずす」ことも覚えた。ダウンヒルは成功か、地獄しかない競技。中途半端はない。スピードの恐怖に打ち勝った報酬は、達成感。そのためには、狂気にも似た強い競争心を持ち、限界までスピードを出し急斜面を滑降するのだ。このレベルの選手は、自分自身に勝つことが、最終的にダウンヒルの王者になることを意味する。死の恐怖の姿を見たからこそ、ぎりぎりまで攻め込めるのだろうか。スビンダル選手は「安全装置をはずすんだ」と言って、ちょっと笑ったのだが、なんとも迫力のある笑顔だった。
ダウンヒル種目は、強靭な肉体だけでなくスピードを恐れぬ精神力も要求される。F1にも似ている。スビンダル選手は、努力で心身をスピードに負けないように鍛え上げた。常に己の限界を上げていってそれを超えるべく努力できるということも、才能なのだ。時速160キロで、雪原を滑降するのは、どんな感じだろう。最高の努力をした者だけが、体験できる世界。それにしても、こんな過酷な競技だったとは。とても興味深い番組だった。