先日は、郵便局(振込み&投函)→銀行(窓口での払い戻し&振込み)→電車に乗って移動→役所(書類の発行)→役所の片隅で作業→郵便局(簡易書留)→3キロほど徒歩移動で自宅(途中休憩および買い物あり)というスケジュールだった。こう書くと忙しそうなのだが、実際に済ませてみると、楽勝だった。なのに、前日の夜は「あー、1日で用事は全て終わるのだろうか」などと思い悩んでいた。”To Do List”がちょっと増えただけで、すぐ心配になる。我ながら「忙しい」の閾値が低すぎる。
ちょっとした用事が増えただけで、大げさに忙しがる私は、「新しいこと」も苦手である。とにかく、新しい環境に適応するのが大変なのだ。時間もかかるし、気持ちもなかなか変化に追いつかない。できれば、なーんにも新しいことをしないで生きてゆきたいと思っているのだが、そういうことを願うわりには、「新たに」何かを始めたり、「新たな」場所へ赴いたり、引越ししたりすることが多いような気がする。小学校の通信簿には「引っ込み思案なところがあります」とよく書かれていたので、私は小学校1年生のときには既に「引っ込み思案」の意味がわかっていた。で、「引っ込み思案=悪」という公式が頭の中に刷り込まれているのだと思う。なので、新しいことをやるか、やらないかを決定する場面では、新しいことをやらないと誰かに叱られそうな気がして、とりあえずやるようになっていったのだと思う。
今まで気が進まないながらも変化を選び、何度か「新しいこと」を経験してきた。そして毎回、新しい環境に適応するのに苦労している。で、どれも完璧に近づかないし、未熟なままなのだ。しかし、四苦八苦の連続でわかったことは、完璧を目指さなくてもよいのではないかということ。それよりも現在進行形でいるほうが、最近は大切かなと思うようになった。「転石苔を生ぜず」と言えば聞こえはいいが、自身の未熟さの言い訳にならないように気をつけなくては。
(まだ寒いけれども)春だし、ちょっとこういうことを考えてみた。