この時期、阪急神戸線の車窓から、桜を沢山見ることができる。お花見の名所の芦屋川や夙川周辺以外でも、小学校の校庭、線路脇、街中の公園などこの時期になると桜がいっせいに存在を主張する。視界がうっすらとピンクに染まる。同じ場所の桜でも、子供の頃と今では感じ方が変わってきたなと感じる。
私の好きな詩に、谷川俊太郎の「はる」*1がある。(以下引用)
はる
はなをこえて
しろいくもが
くもをこえて
ふかいそらが
はなをこえ
くもをこえ
そらをこえ
わたしはいつまでものぼつてゆける
はるのひととき
わたしはかみさまと
しずかなはなしをした
(引用おわり)
この詩は、中学のときに読んだ谷川俊太郎の詩集に収録されている。中学の頃、初めてこの詩を読んだときは、ふわふわと暖かく、明るい詩だと感じたのだけれども、今読むと、うっすらと「死」のイメージも感じる。30年たって、この詩の最後の、「かみさまと しずかなはなしをした」、「私」は、もしかしたら死者なのかもしれないと思うのだ。初めてこの詩を読んだときから、30年たち、その間に大切な存在を何度か失ってきた。そういった経験を経て、この詩は、暖かく静かで、空高い場所を詠ったものだと感じるようになった。祖父母や、前に実家で飼っていた犬が皆一緒にお花見をしているような、そんなイメージ。桜もはるも、楽しいだけでなく、少し哀しく感じるような年齢になったということだろうか。
*1 谷川俊太郎『谷川俊太郎詩集』角川書店1976』年 26ページ
(上、近所の桜。曇りなのが惜しい。下、先週末のケン。おやつを使って目線をとった。かわいい。)