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ヒマラヤスギ雑記

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『龍馬伝』25回/『新参者』最終回

『龍馬伝』は、大きな動きとしては神戸海軍操練所が廃止になったことと蛤御門の変があった。全体的に繋ぎ的なエピソードを集めた回だった。以下、思いつくまま。

容堂:彼はもう武市のことなどどうでもよいのだろう。忘れている。目的を失って酒びたりである。番組サイトで容堂を演じる近藤正臣が、容堂のことを「予定調和の中で生きていない男」と分析していた。テレビはカットごとに撮影するので、一人の役の感情を継続するのは舞台と比べると難しい。なので、演じるときに「演じる役はどういう人間か」ということを俳優がより強く意識する必要があるかもしれない。そして近藤正臣が脚本から感じた容堂像が前述の言葉なのだろう。俳優は、想像力、感受性そして役を知ろうとするある種の貪欲さが必要だ。近藤正臣はそれを持ち合わせている。セリフは少ないが、切子のぐい飲みでひたすら酒を飲むだけの演技を、目と千鳥足と震える手で不気味に演じていて迫力があった。

寺田屋:寺田屋のお登勢は、夫曰く「司馬遼太郎の小説のイメージどおり」。ちょっと色っぽくて、龍馬にも気がありそうで、で、やり手。草刈民代はちょっと色っぽくてしゃきしゃきとしたやり手の感じはよいのだが、やっぱり変な京都弁がどうしても気になってしまう。なんか、伏見というよりは江戸みたいな感じ。草刈民代は『Shall we dance?』のときは無表情で、セリフ棒読みだったけれども今回は表情もあると思う。

武市、弥太郎、以蔵
この三人が絡むシーンは、シリアスなのだが人間ドラマとして重厚で見ごたえがある。以蔵の拷問シーンは、見てられない。あのシーンが繰り返される度に、私の中で象二郎への憎悪が膨れ上がってゆく(なので、容堂に酒を顔に浴びせられてすっとした)。弥太郎の視点は、私と同じ。武士の信念なんてもういいから、こんなのつらくて見ていられないというのが本音だろう。けれども、武市が本当のことなど言えば、武市はどうなるのか弥太郎はわかっているのだろうか。弥太郎は先を見ていただろうから、心の奥底ではこういうこと自体、時代遅れ、無駄だと思っていたかもしれない。弥太郎が画面に出ると、この人だけ現代の人という印象が受ける。それから、個人的な知り合いのような気もしてきて、映るとほっとする。

『新参者』最終回
犯人は前回からなんとなく予想できていた。「あなたが殺しましたね」と阿部寛の大きな目で見つめられたときの犯人役の笹野高史の演技は、すごかった。涙を浮かべながら、笑って「違います」といいながら、全身で「私が殺した」ことを表現していた。その怪演を正面から受け止めて、負けてない阿部寛も冴えわたっていた。阿部寛は、目じりの皺も、もじゃった眉も全く気にせず、アップでこちらを見つめる。あの射抜くような目。存在感のある俳優がいるだけで、ドラマに厚みがでると思う。でも、黒木メイサはなんのためにおったのだ(あ、妊娠エピソードのためか、忘れてた)。黒木メイサよりもキム兄の方が、存在意義があったと思う。
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by himarayasugi2 | 2010-06-21 08:21 | エンターテインメント | Comments(0)
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