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ヒマラヤスギ雑記

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『龍馬伝』26回:みんな追い詰められていた

神戸の海軍操練所の廃止に伴い、みな国に帰ることになる。龍馬ら脱藩者は帰るところもなく途方にくれる。勝麟太郎は龍馬に薩摩の西郷吉之助と面会するようすすめる。勝は、薩摩に帰るところのない脱藩者を引き取ってもらえるかを打診していたのだ。龍馬は長州と戦を起こした薩摩に参加することに躊躇いを感じていた。一方、弥太郎は武市から毒饅頭を預かるも、以蔵に食べさせることがどうしても出来なかった。弥太郎は父、弥次郎に「毒饅頭を受け取ったということは、武市の気持ちがわかるから、お前も以蔵が可哀想だと思っているからだ、以蔵に食べさせるべきだ」と諭され、意を決して以蔵に毒饅頭を差し出し、以蔵もその意味するところを理解し饅頭を口にしかけるも、気持ちの揺れる弥太郎に制止されてしまう、というお話。

最後に弥太郎のナレーションで、「みんな追い詰められていた」とあった。武市の信念の前になすすべもない後藤象二郎も、どうしても以蔵を殺すことなど出来ない弥太郎も、他の脱藩者のためにも薩摩の世話になるかを迷っている龍馬も、追い詰められていたのだ。これはこの時代だから、そしてみな譲れない信念を持ち、立場が違うからであって、正しくないことをした結果でもなく、また唯一の正しいことなども存在しないのだ。そう思ってみると、今1番憎い後藤象二郎のことも少し理解できるような気がする。現代と違って、社会情勢が刻一刻と変化する時代は、1度こけてしまうと、生死にかかわってくるほど個人の状況の振幅が大きいと思う。それは立場が上になるほど、大きく振れるのだ。『龍馬伝』を見ていて印象的なのは、登場人物が、みなロスタイムに激しく動き回っているように見えるところ。一瞬わき見をしていた隙に、形勢が逆転されてしまう。優勢でも常に周囲の動きに目を光らせて、動き続けないと足元をすくわれる。みな真剣で、だからその表情がそれぞれに魅力的だと思う。

お気に入りの弥太郎は、涙でぐちゃぐちゃだった。弥太郎は、人の生死が自分の手に委ねられるのが怖くて怖くて仕方がないのだろう。弥次郎の言うことは理屈ではよくわかるのだが、昔から知っている友人が牢に入れられ痛めつけられている、そして自分は牢の外にいて、その様子が見ていられない、だからといって、自ら行動を起こして友人の命を奪うなんて、いくら合理的な理由があったとしても躊躇して当然だろう。ほんの少し立ち位置が違えば、自分が牢にいたかもしれないのだ。以蔵に毒を食わせれば、自分の心の中の何かも死ぬ。気持ちが揺れて、泣いてしまっても理解できる。以蔵のためを思えば、楽にしてやるべきなんだろうか。以蔵が牢で、昔の懐かしい場面を思い出すところは哀しかった。こんな目にあっても武市に信頼されたことが嬉しかったのだろうか。

来週は、龍馬が土佐に帰るらしい。後藤象二郎をこてんぱにするのだろうか。楽しみぜよ。
by himarayasugi2 | 2010-06-28 08:30 | エンターテインメント | Comments(0)
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