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ヒマラヤスギ雑記

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素人にはハードルが高い

一般の人が、その人の話術を披露する機会は少ないと思うのだが、その数少ない場として、結婚披露宴があるのではないだろうか。これまで何度も披露宴に出席して、他人のスピーチを聞いて思うのは、素人が下手に列席者を笑わそうとすると痛い目に遭うということだ。そして、笑わせようなどという野心を持ちながらも、ろくに原稿を用意してきていなかったりするスピーカーが多く、そういうときは会場に微妙な空気が流れる。ある披露宴では、新郎の友人がスピーチを始めたが、あきらかに事前に準備をしてなくて、「高校時代に仲がよかった」という説明の後は、「あいつは本当にええやつなんですよ」とか「もう一度言いますけど、あいつは本当にええやつなんですよ」とバージョンを変えて繰り返すという、かなり微妙なスピーチだった。

私の披露宴のとき、夫の先輩が、夫が家庭的だということをスピーチにいれようとし、同時に笑いも取ろうとして、「独り暮らしの男性なのに、部屋にトコロテンの装置があった」ということをおもしろおかしく話して、限定的に笑いをとったのだが、後で夫の父親は「あんなこと、わざわざ披露宴で言うなんて」とご機嫌斜めだった。話す方が面白いと思っても、親族はそう思わないことがある。こんな感じで、身近でありながらも素人にはハードルが高いのが、披露宴のスピーチかなと思っている。私が友人のスピーチをする際、昔、披露宴でよくスピーチを頼まれていた母にアドバイスを仰いだら、「1番大切なことは、披露宴でうけようなどと絶対に思わないこと。新郎新婦と新婦(私の友人)の両親がみんなの前で言って欲しい内容をスピーチに盛り込むこと」ということだった。そのアドバイスにしたがって、まぁ、無難にスピーチは終えられたと思う。プロでもないのに、即興で列席者に笑いと感動を与えるなんて、素人にはまず無理である。前述の先輩は、別の後輩の披露宴のスピーチでその後輩が「ぢ」であることを盛り込んで笑いをとろうとしていたらしいのだが、夫がやんわりと阻止したようだった。

こういうことを思い出したのは、先日、桂米團治による伝統芸能についての講演と落語を生で見たから。久しぶりに生でみる落語は、とても面白かったし、米團治の落語についての講演もためになった。彼の話で印象に残ったのは、落語は、着物、扇子、手ぬぐいといった限られた小道具だけで、目の前に蕎麦がないのに、蕎麦を食べていると観客に思わせ、真夏でも真冬をその場で作り上げることが要求されるわけで、そういった世界を作り上げるために噺家が使えるのは、話芸だけであることと、落語の途中で一瞬でも携帯が鳴ったりしたら、それこそ一瞬にして落語の世界が崩壊してしまうとても儚い芸だというところ。お客さんの視線と集中力を維持するためには、話芸を磨き続けないといけない、といったことをユーモアいっぱいにお話された。落語は会話だけで状況を説明する話芸で、そこも難しいところだと思う。目線や間の取り方で、登場人物のいる空間の大きさが伝えられるのも落語の面白さ。それこそ、米團治はずっと笑わせてくれて、かつ印象的な話をしてくれたのだが、これも、彼が日々精進をされているからこそで、語りだけで初対面の人を笑わすことの難しさを改めて感じた。落語の奥深さに気づいたと同時に、素人はむやみにスピーチなどで笑いを取りにいかんほうがいいと、再確認したのだった。

追記:弟子の桂團治郎の英語の落語「動物園:Zoo」も、めちゃくちゃ面白かった。これをエジンバラで現地の人相手にやったそう。米團治のお弟子さんは、落語だけでなくて英語もやらないといけないから大変だと思うけれども、勉強になるやろな。英語も上手だったし、何語で聴いても面白いものは、面白い。もちろん師匠の米團治も英語のショート落語を披露してくれた。これもよかった。
追記の追記:しかも團治郎は、なかなかにイケメン(これが言いたかった)。
三度追記:暑い日だったのだが、米團治が落語で火鉢に当たるしぐさをした瞬間、会場は冬になったのだ!
by himarayasugi2 | 2010-07-09 08:15 | エンターテインメント | Comments(0)
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