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ヒマラヤスギ雑記

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含蓄のある雑談/堺雅人主演の『ジョーカー』

今、苦しみに苦しんでいるレポートは、授業もいつも難しいなぁと思って聴いていた。ただ、この授業、メインの話から時々逸れて先生が雑談をされるのだが、雑談の方が段違いで面白いのだ。雑談というか、難しい内容の理解を助けるためのたとえ話なのだが、そっちだけ覚えていて、なんのたとえ話だったっけといつもさっぱり覚えていないのだ。ノートにも雑談だけ走り書きしているという有様。

先日のノートを読み返すと、「何度も離婚して、繰り返し結婚する人の特徴:そういう人は、同じ様な(タイプの)人としか出会わないし、つきわない。それはどういうことか?それは、自分自身を変えない、変わらないから。いつまでたっても、自分自身としか出会っていないからである」と、青いボールペンでしっかりと書いてある。この授業って、結婚・離婚・再婚指南の授業だったっけ。いやいや、違う。この話をしていたときの先生の様子は覚えている。何度も「こういう喩えは不謹慎かもしれないんですけどね」と前置きしてから、なんとなく、具体的な人物を頭の中に思い浮かべながら話をされていた印象を受けた。

このたとえ話は、結構含蓄があるなと思っている。リアルタイムで自分自身の本質を知ることは難しいけれども、手がかりとして、どういった人と今まで関わってきたのかということを考えると、ある程度自分の本質や、成長の過程みたいなものがうっすらと見えてくると思うのだ。

昔、語学関連の仕事をフリーで始めたての頃、なんか上手くいかないし、なんでこんなことやってるんだろ、向いてないかも、ってうじうじしていたら、先輩が「人間は、無意識でも興味のあるモノ・場所・人やらの周囲に自分を置こうとするもの、だから向いている、向いていないというよりも、今あなたはこれをやる時間なのだ」と諭してくれたことがあった。その後、結構長くその仕事を続けていたのでやはり先輩の言う通りなんだと思う。現在は仕事を辞めて学生をやっているが、これも私の本質の一部分を形成しているのだろう。私にとって「今」はきっと勉強をする時間なのだ。

しかし、先生の例え話は見事に授業と関係がない。この例え話だって、授業内容とどう関係しているのか、いまだに思い出せない。けれども、他の雑談も含めて、こういうのはわりと好きである。ただ、レポートを書くときには全く役に立たないのだけれど。

というわけで、今真っ白のワードの画面を見てため息をついているのだが、13日から始まった堺雅人主演のドラマ、ジョーカーを見てしまう。初回を見た印象では、法で裁けない凶悪犯に、堺雅人演じる昼は温厚な刑事が、裏で鉄槌を下すというストーリー?のよう。とにかく、初回の犯人がもう、どうしようもないくらい憎たらしいやつで、視聴者が「こいつだったら殺してもよし」とゴーサインを出さざるを得ないような、「激凶悪」なのだ。そう視聴者が思わないと、ドラマの最後に堺雅人がその犯人を懲らしめる(というか、抹殺する)際に、カタルシスを得られないので、これでもかというくらい凶悪っぷりの描写は半端なかった。故にカタルシスも強烈。なんとなく既視感があるなぁと思ったら、設定は違うけれども、『必殺仕事人』に似ているのだ。わりと面白かったので、来週も見るつもり。

堺雅人は、昼はホトケの伊達刑事、夜は凶悪犯を裁く必殺仕事人という役。二重人格というのではなくて、葛藤しながらもやらずにはおれん、自らの悲しい過去を引きずる男を好演している。堺雅人が好きなので、顔が見られて満足。堺雅人の人のよさそうな笑顔からどこか冷めたものもチラチラっと透けて見えて、そういう複雑な人間を上手く演じていると思う。新人刑事の杏(渡辺謙の娘)は、フレッシュでワイルド。湿った感じがしなくて、長い手足を豪快に動かしているところが見ていて爽快。『新参者』の演技はちょっと脚本のレベルについていっていない印象だったけど、今回はいい感じ。杏を見たあとで、りょう(モデル出身)を見ると、りょうですら普通の人に見えるほど、杏って、スタイルがいいと思う。
by himarayasugi2 | 2010-07-14 08:24 | エンターテインメント | Comments(0)
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