最近は、個人のブログなどで食べ歩きの記録を写真付きで掲載することが多くなってきた。ここまでブログが流行る前は、投稿式のグルメサイトが主流だった。あ、今も?私もそういうサイトを参考にすることが多かったし、二度投稿したこともある。一回目の投稿は、ものすごく気に入った店なんだけど、立地が悪くてあまり知られていなくて、このままだと閉店しちゃうかもと心配になったとき。とにかく脳内にあるレストラン礼賛語彙を総動員して、コメントしたのだ。店の回し者を通り過ぎて、褒め殺しの域に入りかけたかも(逆効果になってませんように)。同じようにその店を愛するが故に、私以上に気合の入りすぎたコメントを既に投稿している方がいらして、それは嬉しかった。その店は、営業を継続しているのだろうか。いくらネットで検索しても出てこない。行けばいいのだが、東京・横浜時代に偶然見つけた店なので、なかなかそれも叶わない。それに二度と行けなさそうな場所なのだ。
二度目は、有名店でそのサイトでもそこそこ評価の高いレストランについての投稿。ここは、サービス、味とあらゆる面で「落胆」したので、正直に事実を投稿したのだが、いつまでたっても反映されなかった。1週間ほどしてサイトの運営者から「こんなコメントをそのまま載せると営業妨害になるので、以下のように書き直したものなら掲載するが、それでよいか」という主旨のメールが届いた。それは、丸いんだか四角いんだかもよくわからない、要するにどうでもよいコメントだった。運営者側で改竄されたコメントは、もう私のコメントではないので、「お好きにどうぞ」という主旨で返信しておいた。そのどうでもいいコメントはほどなくしてサイトに掲載された。この有名店が、味もサービスもいまいちなのに評価がそこそこな理由がなんとなくわかった。それ以後、そういうサイトに投稿するのは止めてしまった。私も悪いのだ。印象の良くない店を、わざわざ「どのように最悪だったか」などと詳細に記す行為自体、大人気ないような気がする。「ここの店最悪」よりも「ここの店最高!」と書くほうが気分がいいし。
レストラン関連について思い出したのは、先日あるお店をとても気に入ったから。ちょっと奮発したディナーだったのだが、毎年この時期に行くお店(以下レストランX)が暫く夏休みだったので、1度ランチだけ行ったお店(レストランA)を予約したのだ。伝統的だけれども、冒険心あふれる料理、素材、盛り付けに久しぶりにわくわくした。どのお料理も斬新な調理法に食材の組み合わせだけど全て美味しかった。サービスもよくて、お店の人との会話も弾んで気分がよかった。驚いたのが、料金。レストランXよりも随分と安い。美味しいワインを一本空けたのに!帰り道、夫と「これだけ美味しいお料理と、気持ちいいサービスをあの値段で提供してくれるんだったら、もう今まで行ってたレストランXに行かなくてもいいよね」となる。今まで行っていたレストランXは、文句のつけようのないお料理を出す。美しい食器、絵画のような盛り付け、華奢なグラス、銀のカトラリー、シックな内装、完成された料理、おっとりしたサービスなど、雑誌でメインの扱いを受けるにふさわしいレストランだと思う。私達はレストランXが休みだったため、偶然行ったレストランAに心奪われてしまった。レストランXが悪いのでなくて、レストランAが良すぎたのだ。レストランAは、いろんな調理法に挑戦して、失敗を全然恐れていない感じがした。厨房に冒険心がある。レストラン全体にまだまだ流動性があるようで、そういう変化の予感に惹きつけられたのだと思う。案外、あるお店から別の店へとお客が移るときというのは、嫌なことをきっかけにというよりは、さらに良い店を見つけてしまったときではないかなと思う。
とはいっても、レストランAの残念なところは、BGMだった。CDが古くておそらく針とびしているのかなにかで、ずっとドビッシーの「月の光」の同じ箇所ばかりを最後は再生していたのが、気になった。小さい音だからわかりにくいけれども、私はスピーカーの真下の席だったので。言ってあげればよかったのかしら。
追記:レストランAでサービスを担当するのは2名。一人の女性は調理人も兼ねている。両腕に料理人の努力の証である火傷の跡がたくさんあった。ノーメークで背筋をしゃんと伸ばしてテキパキとサーブもし、調理もする彼女も店の魅力のひとつである。もう一人のサービス担当は、男性。フランスのカフェのベテランのギャルソン風だった。味があっていい感じ。
**朝の犬の散歩、いつもより遅めに出発したら、気温が高くて人も犬も蒸し焼き状態になる。