昨晩、テレビ大阪の番組『ワールドビジネスサテライト』で、今流行りらしい「断捨離」について特集していた。書店でよくこの本を見かけるのだが、読んだことはない。何年か前に流行った「捨てる技術」みたいなものを言い換えているのかと思っていたのだが、特集を視聴して思ったのは、「捨てる技術」からもう一歩踏み込んだ、物との執着を断つ哲学みたいなもののように感じた。
現在ベストセラーとなった『断捨離』の著者の石川県の自宅では、物を捨てられずに溜め込んでしまう人が、月に100人ほど「断捨離」セミナーを受講しにくるらしい。カメラはその著者、やました ひでこ氏の自宅の引き出し、クローゼットなどを撮影する。台所の引き出しなど見事なくらいなんにも入っていないし、食器棚もすかすか。クローゼットもマンションのモデルルームによくある申し訳程度に衣服がつるしてあるクローゼットみたいにすかすか。これで1年分のワードローブらしい。セミナーで話すやました氏の口調は、かなり強烈に感じた。「それは愛着でなくて、執着なんですっ!」って怒っているようだ。「断捨離」を実現できた人を「ダンシャリアン」と一部で呼ぶらしい。非常に微妙なネーミングセンスだと思う。こういうセンスも不要なんじゃ・・。
「断捨離」を実現した女性の家にもカメラは入る。すっきりとしたなんにもない空間。電子レンジなども友人に譲り、台所はすっきりである。炊飯は鍋で行う。書斎も無駄な本が全然ない、というか本がない。食器棚もすっきりであった。また、最近高齢者で物を整理できないと相談する人が増えており、そういった人に代わって物を捨てて整理整頓するサービスも特集では紹介されていた。整理整頓サービスを依頼した79歳の女性は最後に「生きている間は本当に好きなものとだけで生活したい」とコメントしていて、この言葉が1番心に残った。彼女は古い手紙、食器、本などを半分以上も処分する決意をしたのだった。
夫と番組を観ながら、これって収納術に敵対してるよねっと話す。私はあのチマチマした収納テクニックが苦手で(例:スカーフはクリアホルダーに収納とか、牛乳パックを連結するとか、ハンガーを曲げて靴を収納とか、ツッパリ棒を使いこなすとか、そんなテク)、そういうテクニックを実践するくらいだったら、収納するもの自体を捨てたらええやんってすぐに思うタイプ。といっても、捨てるべきなのに、捨てられないものは多い。夫はTシャツとかシャツとかで1年着ないものは捨てようかなといいながら席を立った。私も1年着なかったものは捨てるか、寄付だな。食器も好きなものだけに絞ろう。お客様が来たときのためにって何枚も小皿を溜めるのはやめよ(この辺りは棒読みっぽい)。夫は感化されたようで、今朝も「すっきりさせようと思ったな」とつぶやいていたが、今月新しいギターを自分が買ったことは忘れているようである。
私にとって1番大切なのは、センチメンタルバリューの高いものかもしれない。祖父母の形見の食器、書籍に家具、実家から譲ってもらった家具や食器などは絶対に捨てられない。すっきり暮らしたいのだけれども、絵一枚かけられていない壁や、花瓶1つも置いていない棚も寂しいし。紹介されていた人のように潔くは無理にしても、書けなくなったボールペンとか、使いそうもない封筒類とかは捨てようか。というより暫く増やさない、これにつきると思う。こうやって番組を観た直後とかは、やる気まんまんなのだが、今週中にそんな決意もすぐ忘れるのだ。いつものことだ。毎日こういう特集をやってくれたらモチベーションも維持できそうなんだけど。