空いている時間を見つけては肩のリハビリに通っている。今、通っている病院のリハビリルームはいつも混雑している。混んでいると待ち時間も長く、その間本を読んだりぼーんやりと周囲の様子をみたり。
私の肩のどこかには地雷があって、そこに触れると激痛になるため、わりにベテランの人が受け持ってくれているようである。というよりも、先日激痛で叫んだため、やんわりと避けられているのかもしれない。が、少しずつではあるが、右はちょっとましになったようである。痛みも流動的で安定していなくて、日によって痛さが変る。悪化はしていないという感じだろうか。着替えに二倍も時間がかかるし、こうやって体の自由がだんだん利かなくなるのだろうか。
リハビリを受けている患者は、慢性化した症状の緩和を主目的に来院している人が多いようである。杖や、押し車に車椅子といった補助器具を日常で使用している人も来院している。そして、ふと思うのは、こういった補助器具を使用している人を見かけるのは、よく考えたらリハビリルームくらいしかないのだ。駅前の通り、ショッピングモール、カフェ、レストラン、デパート、スーパーでは普段見かけない。街中は、人が多くて補助器具をつけて移動しにくいということもある。杖をついてゆっくりとしか歩けないから、押し車だと段差がきついから、などの理由で外出をためらってしまう気持ちはわかる。けれども、ためらってしまうほどに、街中では歩行が困難な人に対する配慮が不足しているのではないかなと思う。
地元の駅近の建物の一階はスーパーマーケットで、二階にトイレと日常雑貨、三階には百円ショップなのだが、階段しか見あたらない。業務用のエレベーターがきっと奥にあるのだろうけど、どこにあるのかわからない。トイレを借りる、百円ショップを覗くっていうごく当たり前の行為を、すぐにエレベーターがわからなければ、歩行に補助器具を使用する人は、あきらめようかと思うだろう。地元のJRの駅も、階段で下りて、通路を歩いて階段を上がってホームという構造で、エスカレーターもエレベーターもない。駅員に声をかけて電動リフトをセットしてもらうようだが、いちいち駅員を探して頼まないといけないのだ。私が気がついていないだけで、建物へのアクセスには必ず数段の段差があるところだって多いだろう。外出をためらってしまうのは当然かもしれない。
こういうときに、バリアフリー化を求める声が多いと思うのだけれども、どちらかというとユニバーサルデザインという視点で町を見たほうがいいと思う。バリア(障害)を取り除く、という考え方よりも、誰にとっても使いやすい、移動しやすい(町並み)という考え方のほうが私は好き。障害を取り除くという視点だと、局所的な「処置」といった印象を受ける。「障害」だけに焦点を当てるのではなくて、「みんなの使いやすさ」を中心に考えることが、長い目でみて有意義だと思う。誰だって、年をとれば歩き難くなるし、肩だって上がらなくなる。