最近、地元の駅の改修計画を知った。妹に電話で知らせると「大ニュースやん!」とえらく興奮している。というのも、私の実家が今の場所に越してきたのは35、6年くらい前なのだが、そのときから駅はちっとも変わっていないし、おそらく駅舎は開業当時のままだったのではと推察する。そうすると駅の改修って50年に1度か、下手すれば100年に1度くらいしか行われないような希少イベントになるわけで、生きているうちにあの駅の改修工事を経験すること自体、結構ありがたいことかもしれないのだ。
既存駅舎は切妻屋根のレトロな姿で、大変味わい深い建物なのだが、エレベーターもエスカレータもなく改札を通って階段を下りて線路をくぐり、階段を上ってホームに行くという構造。踏み切りには朝夕に「開かずの踏み切りタイム」も存在するし、線路の北と南で人の流れが分断されていた。陸橋は日が落ちると治安が悪くなる。なので、以前にバリアフリー化を求める署名運動も起こっていて、私は夫とそれに署名している。少し先の話とはいえども、改修してバリアフリー化されるのはとてもいいことと思っていたのだが、鉄道会社のサイトにある改修後のイメージパースを見てちょっと複雑な気持ちになった。
イメージ図からは、現在のレトロな切妻屋根の駅舎は影も形もなく、あるのは四角い駅ビルの姿。そうか、駅ビルみたいにしちゃうんだ。今までは券売機、窓口、トイレ、改札、ホーム、階段、切妻屋根だけで構成されていたのが、複雑になって店舗もがんがん入るみたい。私はエレベーターとエスカレーターを設置して、トイレを広くきれいにして、切妻屋根を草屋根にしてコスモスとかタンポポとかを駅舎の頭にいっぱい生やしてくれたらいいな、などと勝手に考えていた。まぁ、大規模な工事でお金もかかるし、どうせならテナントを募集して、テナント料も収入になるように・・・といろいろリターンを考えるのは、わかる。営利団体だもの。でも、機能(ソフト)は「駅」でも、(ハードが)駅舎と駅ビルでは印象は違う。
先日、建築家のMさんが家にいらしたときにもこの話題は出た。Mさんとはよく冗談で、「あの駅も草屋根にしちゃいましょうよ」と話していたのだ。今回の改修について、Mさんがぽろっと「別に今の切妻屋根の駅舎を残してエレベーター、エスカレーターを設置することは可能なんですけどね」とおっしゃった。既存の風情のある駅舎を残すことは、鉄道会社内で一度でも検討されたのだろうか。Mさんは「駅って、本来ドラマのある場所でしょう?せっかくの昔からある素敵な駅舎をわざわざ駅ビルみたいにしちゃうのって、なんでも新しいのがいいのかしら」とおっしゃる。スペインでは町並み保存地域には新築の建物の許可はなかなか下りないらしい。許可がでても壁の色や瓦の色も細かく指定されていて、改修の場合もそういった条例に従うのが通例。本で読んだけれど、イタリアでもそうだと記憶している。日本だと京都など規制が厳しいらしいのだが、じゃあ、京都駅は?って個人的には思う。金沢の駅の木造の門は集成材をダイナミックに使用していて、ああいうのは素敵だと思うのだけど、京都駅は監獄に見える。
まぁ、わが町の駅は京都駅とは規模においても、知名度においても、足元にも及ばないのだが、それだけ地元民の駅、生活の駅ともいえる。だからなおさら、あの切妻屋根の建物を保存して欲しかった。隣の駅も隣の隣の駅も、みんなビルに駅機能を付加した「駅ビル」に変身している中、わが町の駅くらいはバリアフリーとレトロを共存させてもよかったのかも。駅舎と駅ビルは全然違う。駅舎にはドラマが起こりそうだけど、駅ビルっていうのは、酔っ払いが始発電車まで寝ているとか、不良がしゃがんでいるとか、なんかそういう場面がよく浮かぶ。まぁ、それもドラマか。一応、サイトには「既存の駅舎の記憶を残す」みたいなことは書いてあった。完成を待つことにしたい。
(どんどん開くチューリップ。この開いて動き出している感じが好き。せっかくなのでガラスにも生けてみる。)
追記:駅に店舗をつけるのなら、ヨーロッパの駅とかで見かける立ち飲みのカフェとかがいい。犬連れでもいけるっていうのがいい。勝手に夢想中。
追記2:最近は、風情のある駅舎っていうのは、道の駅くらいしか見かけない。変だ。
追記3:本は図書館で無事に借りることができた。おまけに、他の資料でいいものも見つけた。休み中の図書館は嘘みたいにすいている。