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ヒマラヤスギ雑記

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音を見ようとする。

音のない世界で』というフランスのドキュメンタリー映画を観た。ろう者の人達の教育、生活、結婚、出産などをカメラが追い、その映像と映像の合間には手話のインタビューが挟まれている。このドキュメンタリー全体の感想は、うまくまとめきれないので印象に残ったインタビューだけを忘れないように記録しておく。

ろう者で自身も手話を学校で教えていたという初老の男性が(手話で)話すには、「手話は世界共通と思っている人が多いけれども、それは違う。フランスにはフランスの、ドイツにはドイツの、中国には中国の手話がある。私が中国に行って、中国のろう者の人と手話で会話しようとしても、最初はなかなか上手くできないのだけれど、2日もあればもう普通に手話で会話ができる。中国語を話せない健聴者のフランス人が中国に行って2日で中国語で会話は無理だろう。もっと時間がかかるだろうね」(*1)と手話で語ったあと、「どうだね?」という表情でニッコリと笑った。言葉は情報の記録、保持のためには便利なツールなのだが、もしかしたら言葉を介した意思疎通というのは、「疎通度」においたらかなり順位は下がるのかもしれない。

月曜日、Y先生との雑談。全盲のピアニストとして国際コンクールで優勝した辻井伸行さんは、ピアノ協奏曲をオーケストラと演奏するときに、指揮者の合図を指揮棒を振るときの指揮者の息遣いで「ああ、今だ」とわかるらしいと、私が話すと、「では邦楽(日本固有の伝統音楽、能楽や雅楽など)で複数の奏者が演奏するとき、指揮者がいないのになぜぴたりと音が合うのかわかりますか?」とY先生。

Y先生によると、普段は、全体練習でも障子や襖で隔てて1人1人が分かれて練習するそう。それは互いの姿が見えなくても音が合うようにするため。だから本番でぴたりと合うとか。「へー」とめちゃくちゃ驚く私。「こう考えるとさ、邦楽は全感覚を使って“息、ぴったり”というか“呼吸を合わす”っていう音楽なんだね、身体性を介すんだよね」と先生。オーケストラは指揮者の指示で演奏を始めたり、止めたりする。邦楽は呼吸を共有するのかもしれない。考え方が違うのだろう。面白い。

幼少期に聴覚を失った神戸の画家、西村功の絵を初めて観たとき、偶然なのだが、先生も私も画家が聴覚を持たないことを知らずに観ていた。先生はパリの地下鉄の絵を、私はパリの列車の駅の絵を観たのだが、2人とも同じように感じる、「なんか、駅なのに人もいるのに、えらく静かな絵だな、音が聞こえてこない」と思ったのだ。聴覚を持たない西村功は、常に音の無い世界を描いていた。それが聴覚を持つ私と先生が観ても音が無い光景に見えたということである。「先生、音は見ることが出来るのでしょうか」「うーん、そうかもしれないよね、意識していないけど、2人とも同じことを思ったのだから、少しは音を見ているのかもしれないねぇ」興味深い話だった。

*1:鑑賞後に記憶を基に再構築したので、発言そのままではない。
by himarayasugi2 | 2011-06-21 08:20 | アート | Comments(0)
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