私は、「アナログ」と「どんでん返し」が好きだなぁと、ジェフリー・ディーヴァーの『ソウル・コレクター』を読み終えて思う。長かったけれども面白かった。私はジェフリー・ディーヴァーのここまでのシリーズは全て読んでいる。パトリシア・コーンウェルの『スカーペッタシリーズ』は、途中からあまり面白くなくなってきて読まなくなったけれども、ディーヴァーだけは2年遅れでもかならず刊行順に読む。どの辺が魅力なのか考えた。
まず、長いということ。ディーヴァーのこのシリーズは、常に二段組で400ページ以上はある。『ソウル・コレクター』は本文二段組み520ページだったけれども、一度も飽きなかった。ディーヴァーの作品のような長い推理小説は、どうなるの、どうなるのって引っぱって引っぱって、もう、いいかげんに犯人を捕まえて欲しい、と解決に対する飢餓感をあおり、最後に予想もできないどんでん返しを投下して、強烈なカタルシスを読み手に与えてくれる。これが病みつきになる。ディーヴァーはそういう意味で裏切らないストーリーテラーなのだ。最新刊もやっぱり買おう。
次に、結局アナログだということ。『ダイハード』がこの手のアクションシリーズで1番好き(*1)なのは、とにかくアナログだから。マクレーン刑事のアナログ力のみで乗り切っていくところが好きなのだ。拳銃を携帯しない刑事コロンボもアナログだ。デジタル犯罪にデジタルで対抗するのでなくて、最後はやっぱりアナログが解決する、そういうのがいい。で、ディーヴァーの作品は今回に限らず、常に最後はアナログが勝利を収める。とくに『ソウル・コレクター』はネット上の情報を悪用した殺人の話しなのだが、主人公の機転と、データが解析できない人間の感情がデータ男を追い詰めていくのだ。
アナログとどんでん返しがいつもきっちり生かされている上に、ディーヴァーの作品は長いのに飽きない。訳者あとがきを読んで納得する。翻訳者はディーヴァーの動画インタビューを見たらしく、内容を記していた。それによると「(ディーヴァー)は章ごとシーンごとの登場人物やエピソード、会話の運びなど」を含む「絵コンテ」を執筆前に「何ヶ月もじっくり時間をかけて取り組む」のだが、「実際の原稿書きはほんの一、二ヶ月ですませてしまう。執筆開始時点で、ストーリー展開も、会話の1つひとつに至るディテールも、(中略)ほぼ100パーセントに近い状態で作りこまれてあり、残っているのは、それを実際に文章に起こす作業だけ」らしい(「」内は526ページからの引用)。書きながらストーリーを考えて出来るものではない、あのどんでん返しはやっぱり綿密な構成にあったのだ。なんか読んでいて嬉しくなった。
ディーヴァーに手伝ってもらいたい。
*1:『ダイハード1』がシリーズの中で1番面白いと思う。ジョン・マクレーンの動物的勘、機転、意志の強さがフィクションとはいえ、すがすがしい。
参考:ジェフリー・ディーヴァー、池田真紀子訳、『ソウル・コレクター』、株式会社文藝春秋、2009年