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ヒマラヤスギ雑記

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クリスマスに思い出すこと

中学、高校とプロテスタントのミッションスクールで学んだ。普段はそんな昔のことなど忘れているのだが、12月に入って街中でクリスマスキャロルが流れると、本当に不思議なことに学校で過ごした時間を思い出す。毎朝礼拝があって、確か木曜日は献金の日だった。最後の賛美歌を歌っているときに献金の袋が回ってきて、少しお金を入れるのだ。お小遣いが限られていた私は、実はそれが嫌で。1円とか5円とか、なめた金額を入れて舌をぺろっと出していたりしたこともあった。

思春期真っ只中の女子中高生だった私は、クリスチャンでもないのになぜ賛美歌を歌わなきゃいけないのかと妙に反発していた時期もあった。でも、賛美歌はとても美しくて、すぐに好きになった。毎年クリスマスの時期に開催されるクラス対抗の賛美歌コンクールを密かに楽しみにしていた。私はヘタクソなのでクラスの足をひっぱらないように適当に口をぱくぱくさせて、友達のデスカントやコーラスをうっとりと聞いていた。学校ではノリのいいクリスマスキャロルももちろん歌ったけれども、よく覚えているのは静かな曲ばかりである。クリスマスになるといつも「地味と言われようともAway in a mangerが1番好きだもん」と思っていて、12月には1人で必ず口ずさむのだ。夫に聞かれないように。夫によると私は信じられないくらい音痴らしい。

冬休みの課題で、手作りのものに聖書の言葉をつけて提出するというのが中学の1年か2年であったと思う。憧れていたテニス部の先輩は、化粧ケープに好きな聖書の言葉を刺繍していて、私も刺繍を真似ることにしたのだ。紺色の別珍の生地でクッションカバーを作り、そこに「競技をするものは何事にも節制をする」(コリント人への第一の手紙9章24-25節より抜粋)という言葉を確か黄色とピンク色と銀色の刺繍糸をつかって前面に刺繍した。どうしてこんな聖書らしくない言葉を選んだのか、全く覚えていない。中学生のころの私に訊ねてみたい。そのクッションは、いまだ実家のリビングの片隅に転がっている。

中学高校時代にキリスト教に触れてよかったと思う。相変わらず音痴ではあるのだが、結婚式場で賛美歌を歌うときなども、懐かしくなって結構気持ちを込めて丁寧に歌ってしまう。そうそう、最後の「アーメン」も昔に戻ってちゃんとアルトで〆るのだ。

“Away in a manger”を探したのだけれどもよいのがなかったので、次に好きな歌、「まぶねのかたえに」を。楽しい連休を!

by himarayasugi2 | 2011-12-23 08:57 | 雑感
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