人気ブログランキング | 話題のタグを見る
ブログトップ

ヒマラヤスギ雑記

cedar2.exblog.jp

メール/繰り返される言葉/ドラマ

メール
昨日午後、珍しくA嬢が携帯からかけてきた。いつもはメールで用事を済ますので、きっと急ぎだろう。「なに?なんか急ぎの用?」と訊くと「ええと、T君がヒマラヤスギさんの電話番号わからないから伝言して欲しいってさっき電話があって」と言う。A嬢の話をまとめると;T君は、修了式後の謝恩パーティの幹事をしているのだが、人数の調整をすることになったという。増えるのだ。一人当たりの負担額が増えるけれどもいいだろうかということなのだ。謝恩パーティにはM2が修士の2年間でお世話になった研究室関係者(先生を含む)を招待する。招待客が増えれば負担金額が増えるのは当たり前である。A嬢に「招待する人数が増えれば金額も増えるのは当然だから、問題ないと思うけど」と答える。「ですよねぇ」とA嬢。私はA嬢に「なんでT君はそれを私に?」と訊ねると、「それはですね・・」とA嬢がちょっと推測を交えて説明してくれる。

A嬢の話をまとめると;以前、謝恩パーティ経費徴収に関するメールをM2全員に一斉にしたところ、即効でヒマラヤスギから「その徴収方法を変更して欲しい」と返信があった。なので、事前に話をつけておいたほうがいいんじゃないかとT君は判断した。というもの。ああ、そのメールのことなら覚えている。ややこしい徴収方法だったので、私がすぐに「その徴収方法を変更して欲しいこと、およびその理由」「どう変更したらいいのか」「T君が気にしている点がXXなら、それはYYのように処理すれば問題なし」「以上を検討の上、徴収方法を変更してもらえると幸いである」みたいな分かりやすいけど、やや事務的なメールを送ったのだ。もっともねぎらいの言葉もつけたんだけど。で、T君はそのメール内容を了承してくれた。が、どうやらT君は私のあのメール以来、ちょっと気にしているようである。

夫は「やっぱ事前にお局(私らしい)は押さえとかんとあかんって思ったんやろ」とからかうのだ。あの分かりやすいけど事務的すぎたメールが怒っているみたいに受け取られたのかも。顔文字も絵文字もないしね。今回のことと関係ないかもしれないけど、みんながよく使う顔文字とか絵文字って、表現がストレートになりすぎないための「緩衝材」としての機能があるのかもしれない。もっと柔らかい文面にしたほうがよかったのかも。反省しきり。ごめんね。

繰り返されるある言葉
数年前にO原麗子が自宅で独りで亡くなったときに、彼女の死を伝えるワイドショーやネットニュースにやたらと「孤独死」という言葉が踊った。O原麗子は、お酒のCMも人気だったし、俳優としても存在感のある人だったと思うのだが、報道の焦点はなんとなくそういった俳優の喪失というよりも、その俳優が孤独死だったという方に偏重していた印象を受けた。彼女ほどの俳優の死を伝える報道として、これが最もふさわしいのかなと疑問にも思っていた。薄っぺらい憐憫なんて最も彼女は嫌いそうなのに。

つい最近、Y口美江がお亡くなりになったのだが、そのときもやはり「孤独死」という言葉が目に付いた。確かに自宅で独りお亡くなりになる場合に使われる言葉ではあるのだけど、連発しているなぁとやはり感じた。あたかもそっちに報道価値があるかの如く。旅先で視た某TV局の朝のワイドショーでコメンテーター(お名前失念)が、「孤独死ばかりをとりあげるのに違和感を覚える」といった主旨(少なくとも私はそう受け取った)の発言をされていて、ちょっと気持ちが晴れた。

『ストロベリーナイト』:
来週最終回である。面白い。武田鉄矢と遠藤憲一のシーンが、まるでハブとマングースのようで怖くて面白かった。迫力ありすぎで、画面が締まりまくる。竹内結子の役は篠原涼子もおそらくはまりそう。竹内結子は儚げなルックスを裏切るような、意外と声が太くて骨太な演技がいい。
by himarayasugi2 | 2012-03-14 08:52 | 雑感 | Comments(0)
名前
URL
削除用パスワード

※このブログはコメント承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでコメントは表示されません。

<< イカナゴ 柴犬と旅する:伊勢志摩編 >>