人気ブログランキング | 話題のタグを見る
ブログトップ

ヒマラヤスギ雑記

cedar2.exblog.jp

五代さまロスに陥る。

昨日の朝の放送で、ドラマ『あさが来た』の五代さまが亡くなってしまった。まっさか、ドラマの15分間で、こんなに泣くとは思ってもいなかった。これが「五代さまロス」なのか。ドラマの後、そのまま五代さまを演じたディーンフジオカが次の生放送に出演、インタビューとなった。

インタビューのディーンフジオカ(以下「ディーン」)は、まるで五代さまのようで、爽やかで誠実で、上品で、知的で、感じがよかった。演じるにあたって、相当資料を読み込んだようで、五代さまについて語るディーンの口調は明確で、わかりやすい。五代さま像をしっかりと持っていることがわかる。美しい日本語で、質問に対して誠実に答えようとする。また、長い文章(複文)を、最後にきちんと句読点まで持ってゆくように話す。彼の話し言葉は、そのまま書き起こしても使えるくらいにまとまっている。朗らかで、前向きで、普通に素敵な人である。芸能人というよりは、浮世離れした存在、たとえば天使とか、エルフのような感じだ。そういう感じは、この人がもともと持っているものだと思う。

『あさが来た』のディーンの演技は、むちゃくちゃ上手とは思わないが、ディーンは、誠実に一生懸命に五代を演じていた。「一生懸命さ」というのは、プロの仕事であまりにむき出しになると、稚拙さに映ることも時にあるとは思うのだが、五代を演じようとするディーンの熱意が、そのまま五代という役柄の持つ熱意にぴたりと重なった結果、五代は、きっとこんな感じだったのじゃないかと観ているほうに感じさせる自然さにつながったと思う。あの誠実さは、ディーンの「地」なのか、五代としての演技なのか、境界があいまいになっていて、それが、ディーン=五代となって、ここまで人気が出たのだろう。ディーンよりも「上手く」五代を演じられる俳優はいても、ディーンよりも魅力的に五代を演じられる俳優はいないだろう。そういう役を、「当たり役」というのだと思う。ディーンが演じたからドラマの五代は魅力的だったし、五代という役に出会ったからディーンの魅力が開花したとも言える。

インタビューで五代という人物について尋ねられたとき、「好奇心だけであそこまでできない、強い使命感を持っていたのだ」という主旨のことを自分の言葉で述べていて、そこが一番印象的だった。ものすごく資料を読み込んで、深く人物を掘り下げていると思った。

次回作に注目が集まるとは思うけど、深田恭子主演のあのドラマは、別にディーンじゃなくてもいいやん、みたいな役柄で、あっちゃーって思っているけど(でも見ているけど)、そういうことも全く気にせず、一生懸命に役を演じているんだろうなと思うと、ディーンって、なんていい人なんだと思うのだった。五代さまのようないい役がまためぐってきますように。

ちなみに、夫は深田恭子のドラマでディーンが演じている「主任」は、なかなかいいと言うのだが(私はそうは思わない)。

五代さまが亡くなっただけで、この喪失感である。ドラマの最終回を平常心で迎えられるのだろうか。以前、唐沢寿明が主演していた『白い巨塔』を最後まで見終わったとき、すっごい喪失感を覚えたのだけど、『あさが来た』のラストには、それを上回るような喪失感に襲われそうで、今から覚悟している。 
by himarayasugi2 | 2016-01-23 09:23 | エンターテインメント | Comments(0)
名前
URL
削除用パスワード

※このブログはコメント承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでコメントは表示されません。

<< 聞いてなかった話。 早朝の悲劇 >>