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ヒマラヤスギ雑記

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引退

昨夜は、ほとんどテレビも見ずに10時過ぎに寝てしまった。朝起きて新聞を見たら、「浅田真央 引退」の文字が!しかし、テレビやネットの報道を見る時間もなく、そのまま朝から大学に行った。帰宅して遅いお昼を食べるとき、テレビをつけたらソチ五輪の真央選手のフリーが流れるところだった。なんと、ノーカットだった。久しぶりにこのプログラムをノーカットで見た。最後まで見て、最後のジャンプを跳んだときの拳をぐっとするところで、やっぱり目がじわーとなる。つい最近このように素晴らしい演技をした彼女が、競技生活を終えるのか。

彼女がどれだけ選手として突出した存在で、演技だけでなく人柄も素晴らしいことについては、テレビやネットにコメントがあふれかえっているので、少し繰り返しになるけれども、ちょっとだけ書いてみる。

彼女が魅力的なのは、美しくて強くて、クリーンだからだと思う。美しい姿に優雅で芸術性の高い演技と、完全に戦士でガチなアスリート精神の組み合わせが、本当に魅力的だ。よい意味で一切の駆け引きをせず「勝負は常にガチンコ!」な姿勢が、テレビでしかスケートを見ない私のような人間にも伝わってくる。しかも、誰のいいなりにもならず、常に主体的である。優等生というのでもない。自分で考えて自分で決断している。それがすごくすがすがしいというか、潔いというか、かっこいいと思っていた。彼女は、自分の滑りだけで戦っている。孤高の人だなと思う。いいときも悪い時も、毅然としていて、謙虚で自分に厳しく、いつも難しいことに挑戦する姿勢、人一倍努力をする姿勢、素晴らしい点をあげていたらきりがない。きっと、身近にいるスケート仲間はもっとそれを感じていたにちがいない。

彼女のスケートを応援するようになって、メダルの色はフィギュアスケートに関しては、あまり意味がないということがわかった。同様のことが、スコアでもいえる。〇メダルだから、〇位だから、この演技はよい演技、X点を越えているから、この演技は最も優れている、という議論を真央選手の演技は一蹴してしまう。テレビ観戦という限られた機会でしか目にしていないが、彼女の演技を通してわかったことは、よい演技の定義は一つしかないということだ。残念ながら、そのひとつしかない定義を歪めようとするものが、この競技の世界には存在することも知った。そういう存在を表に引きずりだしたのも、彼女の演技だと思う。彼女は最後に勝負に勝ったのだ。

はじめてグランプリファイナルで優勝した試合を生中継で観戦したときから、ずっとリアルタイムで彼女の演技を見ることができてよかった。もう、あんな選手は出てこないかもしれない。まだ26歳。人生始まったばかりだ。これからの人生も素晴らしいものになりますよう、心よりお祈りします。





追記でぼやく:
荒川さんがテレビで喋ってたけど、「浅田真央」と「引退」という文字が新聞やマスコミで並んで表示されたのを目にしたときは、やっぱりさみしさを感じた、とのこと。それは、わかる。ついにこのときが来たんだと思った。ただ、この競技、特に女子は、スポーツとしてこの先どうなんだと思う。男子は、四回転の「どのジャンプ」を「誰が」「何回」試合で跳ぶのかとか、競技としての発展の余地もあるのだけど、女子は浅田真央選手以外、結局コンスタントに試合で3Aを跳ぶ人が出てこなかったし。順位なんて、どうとでも操作できる印象が強い。完全に審判不信に陥ってしまっている。







by himarayasugi2 | 2017-04-11 15:55 | スポーツなど | Comments(0)
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