今年の夏は、忘れられない夏になった。父が倒れて寝たきりになる。家で父を介護していた母が圧迫骨折になる。父を入院させる。父が入院4日目に亡くなる。そして告別式、その後の手続き、母の骨折治療、などなどの出来事が、セミの声をBGMに飛ぶように過ぎて行った。ずっと暑かった。個人的には、暑い日の朝に、動けない母に代わって父を入院させた日が、ここ数年ないくらい慌ただしかった。朝一番に入院先が決まり、訪問看護師さんと一緒に20分で入院の用意をし(看護師さんが、テキパキと指示してくださって本当に助かった)、10分で身支度をして、父と一緒に救急車に乗って病院に行った。あのとき母は、まだ骨折が痛くて家の中をゆっくりしか動けなかった。母には家で待っていてもらった。
ごった返す病院で、手続きのために何枚もの書類を書き、父の検査を待ち、病室を整え、主治医と画像を見ながら話す。その間、病室で待つ父の話し相手は、Tおばさんがずっとしていてくれた。本当にありがたかった。夫はこの日、急遽休みを取ってくれた。夫は車で病院に先回りして待っていてくれた。
救急車に乗ったのも初めてなら、入院手続きをしたのも初めてで、別室でCT画像を見ながら主治医と面談だなんて、ドラマの中でしか見たことのない風景だった。どこか現実感がなく、ちゃんと話はしていたのだが、遠くで聴いているようなそんな感じだった。
午後に一端病院を後にし、夫と昼食を取り、ユニクロに行って母が骨折を治療中の間に着用する服を買った。胸椎の骨折なので、骨が完全にくっつくまでコルセットをつけるのだが、その際にウエストは全部ゴムのパンツの着用が望ましいと医師に言われたのだ。で、買い物を済ませ実家に戻り、母を車に乗せて整形外科に行く。整形外科でコルセットを受け取り、それを装着してから、母も一緒に車で父が入院した病院へ戻る。病院でしばらく過ごしたあと、買い物をすませ、実家に戻ってぼんやりしていた。入院前日は、一睡もできなかった。
ずっと暑くて、セミがうるさかった。妹は中東に出張中だった。帰国するまでは知らせないでおこうとなっていた。帰国のタイミングとなったときに、メールで父の入院と母の骨折のことを伝えたら、すぐさまメールで、私のメールを読み朝の中東のホテルのベッドの中で「絶叫した」と返信があった。そうだろうな。私だってこういう展開になるとは思わなかった。
父は、入院4日目に亡くなった。病院が嫌いで入院したくないと言い続けていた父なので、悲しいけど入院生活が長引かなかったことは、よかったのかもしれない。
私はもっとしっかりしなくてはいけないなと思った。もう大人すぎるほど大人なのに、入院手続きする間も、救急車が家の前に停まったときも、想定外にてんぱっていた。救急車内では、みなさん話しかけてくれたり、ずっと優しくしてくださって、ありがたかった。救急車って、ほんとに信号でとまったりしないんだなとあらためて思ったり。
毎年セミの声をきくと、この日のことをきっと思い出してしまうだろう。
夏に撮った画像をあげようかなと思ったのだけど、それは後日どこかで。
今年の夏も、ケンは冷え冷えマフラーを巻いていた。
(ケンが留守番中に階段でつまずいたりしないように、1階と2階の行き来をときどき背後に見えるゲートで制限している)
母の圧迫骨折の経過は順調で、骨はちゃんとくっついてくれた。コルセットはもう外している。まだ重いものは持ってはいけないのだが、それ以外の家事などは普通にできるようになった。ウォーキングも推奨されている。
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