インスタのアカウントを閲覧用に持っている。少数の動物写真家と美術館と語学関係と夫と妹のアカウントをフォローしている。偶然見つけた愛くるしい柴犬のアカウントがあって、柴犬系で現在唯一フォローしている。残念ながらその柴犬は、ケンが3月6日に亡くなった約4か月後、夏になる前にお空に行ってしまった。
ケンは体調を崩してから亡くなるまで一週間だったので、こちらの心の準備が間に合わないままだった。その子の場合は去年の年末くらいからゆっくり食欲が減退し、体調もゆっくりと悪くなっていった。愛犬が衰弱してゆく姿を見るのは飼い主にとってはとても辛い状況である。けれども、その子の飼い主さんは覚悟を持って、強く明るく愛情をこめて看病していた。その子が一番幸せに過ごせるように心を砕いていた。インスタで、その子がご飯を食べた、お散歩に行った、お友達と会った、とあれば、ああよかった、頑張れ頑張れ、と応援していた。亡くなったというインスタの記事を見たときは悲しくて、泣いてしまった。
今まで当たり前のように一緒にいた存在の不在には、なかなか慣れることができない。そしてふとしたことですぐ泣いてしまう。私は骨壺を抱きしめてべそべそ深夜に何度か泣いたことだってある。天気がいいだけで、桜がきれいなだけで、そこにケンがいないことが悲しかったりする。その子の飼い主さんも同じだった。ずっと泣いていたとインスタに書かれてあった。その人も私と同じように昔の愛犬の写真をアップして回想していた。この方法が悲しみを和らげる正しい方法かどうかはわからない、でもそうせずにはいられないのだ。
その子が亡くなってからもそのアカウントはフォローしている。8月になって飼い主さんがインスタで、亡くなった犬からのメッセージだと思ったと一冊の本を紹介されていた。その本に救われたと書いてあった。
ヘンリー・スコット・ホランド『さよならのあとで』
ホランドの一編の詩を翻訳し、高橋和枝さんのイラストを添えたもの。42行の詩だけなので、本を開いてから最後のページまであっという間だけれども、死者と向き合って対話しているような感覚になるので、急いで読むことができない。むしろゆっくりゆっくりとページをめくる。ゆっくり言葉を味わう感覚。合間、合間に白紙のページもあり、懐かしくなるようなイラストもある。「死はなんでもないものです。私はただ となりの部屋にそっと移っただけ」で始まる。この本については、アマゾンでも思い入れたっぷりのコメントが並んでいるので、詳細は割愛する。ただ、読み手にとって最も失いたくなかった存在が語りかけてきてくれるような本であることは確かだ。ケンからの手紙だと思った。最後まで読んで、ケンが私にどうしてほしいのかわかったような気がした。深夜に骨壺を抱いてメソメソしてなんて欲しくなかったんだなと思う。詩の途中で「人生を楽しんで」「私は近くにいる」というフレーズがあって、それだけで私も救われた。
あとがきで、この詩は海外の故人を偲ぶ追悼式や葬式で朗読されることが多いらしい。私のお葬式にもこの詩を誰かに朗読してもらいたい。本は汚れないように袋にいれて、毎日読み返している。本を読んでいるときはケンが近くにいる気がする。
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