先日、中学高校のときにお世話になった先生が88歳のお誕生日を迎えられた。中学高校の同級生が集うライングループとフェイスブックでお祝いの寄せ書きが提案され、有志がそれに参加した。私も参加した。
13年前、私が修士1年目のときに先生が同じ大学でドイツ語を聴講に来られていることを知り、先生と時間を合わせて学内でお茶をしたことがある。そのとき先生から学び直すために大学院へ行ったことを「頑張ってるじゃない」って声をかけていただき、「役に立つこと選んで学習するのではなく、純粋に知りたいと思ったことを学びなさい」とアドバイスされた。その言葉はそれ以来ずっと大切にしていて、その後も毎年の年賀状で研究の進捗を報告していた。残念なことに、私とお茶をした後しばらくしてから体調を崩され、聴講にもこられなくなる。
寄せ書きのお礼のお手紙が、先生から代表者に届いたので、代表者がその手紙の画像をSNSでシェアしてくれた。そこには、寄せ書きがとても嬉しかったこと、何度も何度も読み返したことがいつもの達筆で書かれてあった。手紙の最後にラテン語の格言が書き添えられていた。
"Omnis habet sua dona dies"
「すべての日は それぞれの贈りものを 持ってくる」(先生の訳そのまま)
先生は床につくときに一日を振り返り、今日の贈りものはなんだったかなと問うのだそう。
その日私に届いた贈りものは、この言葉だった。実は落ち込むことがあって、こういう気分のまま1日を終えるのかと思っていたところだったので、先生に励ましてもらえたようで嬉しかった。
歯医者、一応今日でクリーニングも治療も終了。3回通院。次回は半年後にクリーニング。歯科衛生士に「ヒマラヤスギさん、すっごくきれいに磨けてますよ、いいですよ、この調子です」と褒められた。これは今日の「贈りもの」だな。
13年前の先生とお茶したときの日記
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