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ヒマラヤスギ雑記

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カテゴリ:エンターテインメント( 327 )

調べもの、ドラマ

ひとこと言わせてもらってもよいだろうか。

疲れた……。

本日、お昼も食べないまま、ぶっ通しで午後いっぱい大学の図書館で調べものをした。先にいろいろタスクがあるために、しばらく図書館に行かなくても大丈夫なようにと頑張ってみた。古い文献を黙々とめくって付箋つける、を繰り返すと、あぶらとり紙みたいな紙質の本なので、指先がガサガサになってしまう。借りるにはあまりにも重すぎる本ばかり。コピーを取るもの、iPadで写真を撮って情報だけもらうもの、ささっと手書きでメモするものなど情報の仕分けを行って、ひたすらやり続ける。重要な文献も3本みつけてダウンロードする。コピーをとった文献は、ハードカバーで重さ4-5キロはある。何度も頁をめくってコピーを取るだけで、二の腕がプルプルする。広大な図書館を上がったり、下がったりしていると、知らない間にクタクタになっていた。

なぜか図書館で作業しているときは、ぎゅーっと集中している。「遊び」の時間がないのだ。だから短時間しかいなくても結構疲れてしまう。図書館に行って「収穫ゼロ」だと、精神的に結構キツイので、とにかく必死で「何か」を見つけようとする。だからいつも心身ともに疲れる。

地元の駅に着いても、スーパーで買い物してレジに並ぶ元気がないから、何も買い物をせずに帰宅。
ふーっ。


ひとこと言いたいドラマ
『なつぞら』、やっぱり面白くて見続けている。広瀬すずと吉沢亮が並ぶと美男美女すぎて何か変な感じだ。なにげに照男兄ちゃんがかっこいい。吉沢亮はこのドラマの登場人物全員の中で一番美しいと思う。天陽くん、照男にいちゃん、なつ、の冬の装いがすごくかわいい。天陽くんのスキーのときの「ズボン」にはつぎはぎがされていたけど、それがまたお洒落な感じだった。照男にいちゃんはなにげに質のよいセーターとかツイードとかを身につけている。なつは、帽子とマフラーがレモンイエローに合わせているところとか、かわいいのだ。広瀬すずも少女漫画みたいなお顔だ。

『ストロベリーナイト サーガ』の姫川玲子役の二階堂ふみは、いいと思う。ミスキャストだとは思わない。いいのだけど、前にこの役を竹内結子がやったということで、どうしても比較されてしまうのが気の毒。竹内結子のときと同じエピソードが多いし。で、やはり竹内結子のほうがこの役ははまっていたとどうしても思うから。はっきりとミスキャストだと思うのは、ガンテツ役の江口洋介かな。武田鉄矢が演じたガンテツの存在感に勝てる役者はあまりいないだろうし。ガンテツ役は武田鉄矢の後だと誰がやってもしんどいと思う。

ハリソン・フォードが主演した映画『逃亡者』が、日本のテレビ局でドラマ化されるというニュースを連休前に知った。主役は渡辺謙だって。でも、『逃亡者』はトミー・リー・ジョーンズが演じたジェラード役が一番重要なのだ。ジョーンズはこの役でオスカーをもらっている。この映画、大大大好きで、録画して何度も見たし、ペーパーバックも買って読み込んだくらい大好き。ジョーンズのジェラード捜査官はほんとに最高だった。完全にハリソン・フォードは食われていた。ジェラード捜査官役は誰が演じるのかが気になってしょうがない。GW中に山荘で誰にジェラード捜査官を演じて欲しいかという話をしていた。真っ先に名前が挙がったのは、内野聖陽、香川照之で、あと少し年齢設定を変えてもいいのであれば、堺雅人に長谷川博己あたり。武田鉄矢、佐藤浩市もいいな。実を言うと、キンブル役も渡辺謙じゃなくて他の俳優でもいいような気がしている。キンブル役に長谷川博己とかも合いそう。











by himarayasugi2 | 2019-05-10 19:20 | エンターテインメント | Comments(0)

『グリーンブック』を観た。

『グリーンブック』を観に行った。アカデミー作品賞を受賞したという。ヴィゴ・モーテンセンが本気の役作りで、めちゃくちゃ太っていた。アラゴルンの面影が全くない。でも素敵だ。以下、公式サイトより引用。

時は1962年、ニューヨークの一流ナイトクラブ、コパカバーナで用心棒を務めるトニー・リップは、ガサツで無学だが、腕っぷしとハッタリで家族や周囲に頼りにされていた。ある日、トニーは、黒人ピアニストの運転手としてスカウトされる。彼の名前はドクター・シャーリー、カーネギーホールを住処とし、ホワイトハウスでも演奏したほどの天才は、なぜか差別の色濃い南部での演奏ツアーを目論んでいた。二人は、〈黒人用旅行ガイド=グリーンブック〉を頼りに、出発するのだが─。


主人公のトニーは、魅力的な人物だと思う。ただ、この映画のタイトルでネット検索するとわかるのだが、この映画は作品賞にふさわしいのかという議論がある(https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-47367572を参照のこと)。私はこの映画を観るまで60年代のアメリカ南部での差別の実態をほとんど知らなかったから、その意味では一部でも知ることができたのは本作を観賞した意味があると思った。それから、一部で見かけた「白人が黒人を救うヒーローに描かれ過ぎ」あるいは「黒人が無力に描かれ過ぎ」という批判も理解はできる。

個人的には、南部での道中にエンジントラブルで農園のど真ん中で車が止まってしまう場面が印象的だった。白人が経営する農園で過酷な肉体労働に従事している多くの黒人が、白人が運転する高級車の後部座席に高級な服を身にまとった黒人(ドン・シャーリー)を見つけ、刺すようなまなざしを一斉にドンに向ける。ドンは苦しそうな表情を浮かべる。この場面は観ているこちらも息苦しさを感じた。本作には、スクリーンの向こうに座っている観客も居心地の悪さを感じるこのような場面が、もう少しあってもよかったかもしれない。ピアニストとしてのドンをもう少し描写する場面も欲しかった。ドンのセリフで「彼ら(南部の白人富裕層)は、黒人である僕の演奏を聴きにいくことで、教養のある人間と見られたいだけなんだ」というようなセリフがあったのだけど、彼のピアノで本当に心が動かされた南部の白人は実際にいたと思う。そういう描写があったらよかったのに。そうしたら作品がもっと重層的になったと思う。

それまで別の世界の住人だったトニーとドンは、旅を続けるうちに打ち解けて友人になる。映画のメインテーマは、旅で人が成長するロードムービーだと思う。ロードムービーとしてよい作品だった。夫もいい映画やったと言っていた。ただ、彼らが生涯の友人になったことを映画として成立させた背景、彼らを別の世界の住人にしていた背景については、立場によって見えるもの、感じるものは違うと思う。

実話を基にしているから、実際に起こっていないことを盛り込む必要は無いし、トニーもドンも魅力的だった。軽く観ることのできる良品だったと思う。手紙のシーンは笑えたし、トニーの頼りがいのある風情も素敵である。観賞後もさわやかだった。しかし、この映画が作品賞を授与されたという事実で、この問題はこれでよいのだとまとめられてしまうことを危惧する人がいても不思議ではないと思う。

うまく書けないのだけど、見終わった後に手放しで「感動した!」という作品ではなかったのは、どうしてかなぁと思って色々と考えてみた。


あくまで個人の見解です……:
アカデミー賞の作品賞と主演男優賞を最後まで争っていたであろう『ボヘミアンラプソディー』と『グリーンブック』の両方を観たけど、この二作品なら、私だったら主演男優賞はヴィゴ・モーテンセンへ、作品賞は『ボヘミアンラプソディー』にあげたい感じ。 








by himarayasugi2 | 2019-03-17 18:19 | エンターテインメント | Comments(0)

『カメラを止めるな!』に大笑い

夫の実家メンバーとの新年会で、夫の姉夫婦が猛烈に推していた映画が、『ボヘミアンラプソディー』と『カメラを止めるな!』(以下、カメ止め)であった。私たち夫婦が「カメ止め」を見ていないと知ると、「あんたら、こういうのんこそみんとあかんねんで」(=こういう作品こそ、見ないといけないのよ)と夫の姉が激しく言うのだ(夫の姉夫婦はジャンルを問わずによく映画を見に行く)。私が、「この作品については、盗作疑惑があったことしか知らなくて」と言うと、姉夫婦がはもって「それとこれとは別!」とまた言う。確かに、見る側にとってそれが盗作なのかオリジナルなのかはあまり問題ではなくて(見る側が関与できない領域でもあるし)、作品が純粋に面白いかどうかだけが重要である。

そういうわけで、そのときは「カメ止め」を見てみたいなーとは思っていたけど、しばらくしたら忘れていた。そしたら朝のテレビが「今夜、カメ止めをノーカットで放映する」というので、これはみるしかないとなる。

で、見た見た!面白かった。以下、ややネタバレを含むと思うので未見の方はご注意を。

映画が始まる冒頭、最初の37分は少々つまらなくてもとにかく37分のワンカットを必ず集中して見るように注意があった。37分間、ありったけの集中力をかき集める。

この映画は、脚本と構成の勝利だと思う。逆に、脚本がよければキャストの認知度なんてあまり関係ないとも言える。キャストがどうでもいいというのではなくて、この作品に出ることでキャストにより光が当たるという意味である。最初は、えぐいホラー映画なのかなと思っていたのだけど、そのワンカットが終わってからの映像が、最初の37分のカットの伏線を怒涛の勢いで回収しまくるのだ。

37分間のカットで、「あれ?」「この人、なんで動かないんだろ?」「この人、いきなり出てきたけど、なんで?」とか、「この足は誰?」とか、「なんで何度も同じことやりかけて止まるんだろ」とか、「なぜに護身術?」とかとか、なんかシュールな演出なのかどうか判断できないシーンも多かったし、演出だと思っていたのが実はアクシデントだったとか、そういうのが後半にどんどん明らかになってゆく。それがもうね、笑いまくり。そりゃ面白くないわけない。これが面白いのは、必然である。

かなりネタバレ
最初からゾンビとして登場してメガネの助監督にゲロをかける男性がまじで怖くてやばかったのだけど、あれは演出でなかったのだ。それがわかったとき、私の笑いの針は振り切ってしまった。夜中に思い出して笑ったくらい。あの人、普通に地面に寝転がっていたけど、あれも演出ではなかったのね。

37分のゾンビ映画のラストに、カメラが女性を上から撮影する場面の裏側には、笑いもあったけど撮影スタッフの一生懸命さに純粋に感動してしまった。すごくいい!すごくいいです!

ゾンビ映画製作を依頼してくる関西弁のおばちゃん役の人、この人前からよく見かける。夫も「このおばちゃんだけしっとうわ」と言っていた。この人、どこで見たっけ?あと、監督役の人が住んでいる設定のマンションが、この映画のほんとの監督の実際の住居っていうのにも驚いたけど。個人的には、監督役の娘役の真魚とヒロイン役の秋山ゆずきとアル中役の細井学が印象に残った。監督の娘は、えらく有能だった。

この映画は、制作費300万で収入が30億円だったそう。やっぱり大スターやアイドルが出ていなくても映画って、面白かったらみんな見に行くのだ。

夫の姉にラインで「面白かった~」と感想を送ったら、「撮影スタッフの一生懸命さにもちょっと感動するでしょ」と返ってきた。そう、この「撮影スタッフ」は、劇中の撮影スタッフと、本作を実際に撮影したスタッフの両方だと思う。そういう映画だった。

久々に笑った笑った!









by himarayasugi2 | 2019-03-09 11:16 | エンターテインメント | Comments(0)

アタルの言葉が刺さる

『ハケン占い師 アタル』を初回からずっと視聴している。一話完結で8話まできている。アタルが派遣社員として勤務するイベント会社のDチームのメンバーの悩みを毎回アタルが占いで解決するというスタイルである。占いというよりは、霊感カウンセリングっぽい。ラスト10分前後を残すところでアタルが悩めるメンバーに対して言葉を投げかける場面が、ドラマのクライマックスである。アタルの言葉は、自己啓発本にもありそうだけど、それが自分にだけに向けられたオーダーメイドの言葉としてアタルの口から直接聞かされると、心に突き刺さるのだろう。みな目が覚めて前を向くようになる。こういうところはドラマっぽいとは思う。

しかし、アタルの言葉が一視聴者である私にも突き刺さった回があった。Dチームの課長の大崎は、ずっと自分は管理職の器ではないし、結局自分は、偽物なのだと言う。大崎の悩みに対してアタルが言ったセリフのひとつが個人的にわりと刺さった。ネットで検索したらトランスクリプトされていた;

たとえ真似ごとでも、必死に良いお手本見習って、コツコツ努力続けたら、それ、本物だから。
(https://dorama-netabare.com/archives/51505)


大崎のように管理職でもないし、ワーキングマザーでもないのだけど、よくて十人並みの自分に対して、私はいつまでも、そしてなにをやっても自信が持てない時期が長かった、と書くと「今は自信があるのか」と言われそうだけど、そうではなくて、やっと悟った感じなのだ。大崎や私のように能力に自信がない人は、本当にコツコツやるしかない。その「コツコツやること」自体が無能の証しに思えた時期もあった(ゆえにそれすら放棄していた時期もあった)。周囲に次元の違う優秀な人が多い環境で十代、二十代を過ごしていて、そういう人と自分を比べて落ち込んだこともあったし。社会人になって10年、20年が経過し、大学院に進学したあたりで、いつのまにか人と比べなくなっていた。年齢的に諦念に至ったのかもしれないけど。ただ、真似でもなんでもコツコツやったらいつのまにかそれはあなた自身の力になるよとアタルに言ってもらえたようで、このときはテレビの前でちょっとじーんとした。


今までのキンロー人生を振り返って、職場で耳にした記憶に残る名言ってあっただろうかと思い出してみた。あんまりなかったけど浮かんだものはこれくらい。

「翻訳者は書類の意味を問うてはならない」(こんな書類を訳して意味があるのかと愚痴る翻訳者らに対して、ベテラン翻訳者が言った)
「言葉には上も下もない」(これは確か方言、共通語について翻訳者で議論していたときにある人が言った)
「1円でもお金をもらうのであれば、プロなのだからプロの仕事をすべきだ」(プロジェクトで大量の翻訳をやるときに、気が向かないを理由に頻繁にさぼったり、遅刻したり、欠勤したりするメンバーに対してベテランが言っていた)

暖かくていいお天気!
もう春かな。








by himarayasugi2 | 2019-03-01 10:55 | エンターテインメント | Comments(0)

マタギのドキュメンタリーを視聴した。

Eテレ特集『熊を崇め、熊を撃つ』を視聴した。熊を追う一人の鳥海マタギの冬の生活に密着した番組である。昔マタギには、熊を2頭仕留めたら1年は遊んで暮らせるくらいの収入があったという。毛皮は防寒着になり、内臓も高値で売買されていたらしい。今は、熊の毛皮には値段はつかないし、内臓の売買にも規制がかかっている。そのため、現在はマタギを生業にしている人はいない。番組が密着していたマタギも、林業と除雪作業で家族を養っていた。

ならなぜ、熊を撃ち殺すのかという問いへの答えは、番組では呈示されなかった。ただ、マタギたちが熊を「山の神」、仕留めた熊を「授かりもの」と呼び、彼らが獲った熊に敬意を払い、丁寧に弔う様子が淡々と映しだされていた。マタギには熊の命を奪うことへの覚悟がある。彼らはハンターではない。山の神の祠を祀るマタギが、その山の神の使いの命を奪うというところに儀式性(もっと踏み込めば山の神信仰のような、宗教、神話に近いようなもの)を感じた。山と人間とが一定の距離を置き、互いの世界を侵犯せず、平和に過ごすための生贄的な機能を熊が担っているようにも見えた。人間は山で暮らす生き物のひとつにしかすぎないことを、マタギは認識している。マタギの言動から、山に対する敬意が伝わってくる。マタギは、職業ではなく生き方である。山と人間の世界を行き来するような存在、番組を見てそういう印象を受けた。

マタギを継ぐものは減少傾向にあり、現時点の現役の(鳥海)マタギの年齢(60から70代前半くらい?)を考えれば、20年後にはマタギはいなくなってしまうかもしれない。

実際に番組を見ていて印象的だったのは、マタギの能力である。番組が密着していた60歳のマタギは、熊が生息する山のすべての地理、地形、起伏を頭に叩きこんでいる。熊の足跡の様子から、その熊の身体的特徴に関する情報(体のサイズはもちろんのこと、内股で歩くのか、外股で歩くのかという動きの特徴も)を入手し、さらにはその熊が食事をしながら歩いていたのか、急いでいたのかといった状況までも足跡周辺の雪の様子から把握する。ブナの葉が裏返しになっていることに気付いたり(熊が食べ物を探して雪を掘った形跡らしい)、常に熊が何を考えているかなどにも気を配る。気配にすごく敏感な感じだった。

熊は前日に自身が雪上に残した足跡の上を歩いていた。奇妙なことに、トレースしているのである。また、目的地を曖昧にするため森や藪の中をぐるぐると徘徊しながらの移動も行う。このような熊の行動は、マタギの目を欺き追跡をかわすためだ。熊にとってそれほどまでにマタギは恐ろしい存在である。

熊は誰がマタギなのかおそらく特定できているだろう。山の神の使いとマタギの真剣勝負である。マタギは、野生動物しか歩かない斜面や山肌を、猟銃を背負い軽やかに移動する。その身のこなしは人間離れしていた。熊を撃つときは、熊の上方から撃つのがセオリーらしい。熊の下から撃つことは、マタギが攻撃に遭うリスクが高い危険な行為なのだ。

番組は密着していたマタギが雪山で熊を撃ったところで終わった。雪の中で静かに自然と対峙するマタギの姿は迫力に満ちていた。




食事記録:ちょっと残念
年に一度は食べに行く、美味しいお店に行ってきた。お料理はよかったのだけど、サービスがいまいちだった。この店でこんなことは初めてである。注文を聞き落とし、それを指摘しても謝罪はなく、こちらが言い忘れたというていで、厨房に伝えているのが聞こえてしまう。メインを食べ終わってから忘れていた前菜が出て来て微妙な空気……。他のテーブルでもお酒を燗にする注文を聞き落とし、何度か温め直しするように言われていた。お料理が美味しくてもこれが続くと足が遠のきそう。ちょっと残念。なので写真はなし。 










by himarayasugi2 | 2019-02-17 17:28 | エンターテインメント | Comments(0)

テレビから拾った言葉

Eテレでやっていた糸井重里と芦田愛菜の対談を見た。ずっと表舞台で活躍し続けている糸井重里と、演技がうまいだけでなくお勉強もよくでき、読書家であることも最近判明した14歳の芦田愛菜が、対談で一体何を話すのだろう。糸井重里のほうが対談相手に芦田愛菜を指名したらしい。人選もさすが「外さない」という感じだ。

糸井重里は、コピーライターだった(今もされているのかな?)からか、なにかと話の内容をキャッチ―なフレーズにまとめようとしていた。そのほとんどが、どこかで誰かが既に言っていたような感じが多かった。ただ、芦田愛菜が、クラスメートと休み時間にただ目的なくおしゃべりしている時間は楽しい、みたいなことを言ったとき、糸井重里が「そういう名前のつかない時間って大切だ」と返していて、この言葉はすっと心に入ってきた。そう、そう、そうやねんと頷いた。

今は、研究室に顔を出して用事を済ませる前と後に、なんとなくその場に居合わせた人たち(先生、研究員、院生)と世間話をする機会が多い。それが今の私にとっての「名前のつかない時間」になっている。具体的にその時間が私にどのようなよい効果をもたらしているのかはわからない。けれども、そういう時間があるのとないのとでは、全然違うだろうなということはわかる。次に会う約束をしなくてもいいし、時間も決まっていないし、ただ会ったときにシェアできている話題で盛り上がれるというのが、気楽で心地よいのだろう。

昨夜のドラマ『グッドワイフ』で、主人公の常盤貴子(弁護士)が最後に言ったセリフで印象に残るものがあった。常盤貴子の夫の収賄と不倫スキャンダルが報道されたときに住んでいた町で付き合いのあったママ友の息子の冤罪を晴らす、というストーリーだった。そのママ友は、常盤貴子の夫のスキャンダルが出たときに、真っ先に彼女を見捨てた人物でもある。常盤貴子のお陰で息子の冤罪が無事に晴れた後、そのママ友は、「また電話するわ、ランチしましょう」と愛想よく常盤貴子に言う。しかし常盤貴子は、「口だけでしょう(電話なんてしないくせに)」と言ってほほ笑むのだ。そして、「10年間仲良くしてくれてありがとう」と言って背を向けて去って行く。その直後に、いつもクールなパラリーガルに(おそらくはじめて)飲みに誘われる。その誘いが嬉しい常盤貴子は、「過去を切り捨てても新しい未来(もしくは出会い?)がある(うろ覚え)」と言って笑顔を見せる。

いいシーンだし、いいセリフだなと思ってみていた。周囲の人全員と仲良くなろうなんて思っちゃいないところも好き。このドラマの常盤貴子はいいと思う。演技している感じがしない。あざとくないというか。柔らかだけれども、芯が強いのだ。私はこのドラマで常盤貴子が演じている人に似ている人をリアルで知っている。とても憧れる。それから水原希子演じるクールなパラリーガルも好きかな。 













by himarayasugi2 | 2019-02-04 13:28 | エンターテインメント | Comments(0)

2018の『紅白』はみた。

大晦日は、珍しく『紅白歌合戦』を視聴した。いままで10年単位くらいで紅白は見ていなかったのだけど、今回はテレビで見たい歌手が沢山出て来るのでわりと楽しみにしていた。とりあえず、8時くらいからチャンネルをNHKに!久しぶり。

絶対に紅組の勝ちだと思っていたのに、なぜか白組の勝ちだった。視聴者判定では、ものすごい大差で白組だったし。

MISIA一人で白組全員を倒せていたと思うのだが。

あれこれ感想など。

聖子ちゃん:
むむむ、声が低い。高音が出ないのは、しょうがないか。アラカンだろうし。声は年相応でも、顔はいつまでも若い。不老歌手だと思う。私が好きな聖子ちゃんの楽曲は歌ってくれず。ちなみに好きな曲は、『赤いスイトピー』『蒼いフォトグラフ』『スイートメモリーズ』『夏の扉』『ロックンルージュ』である。『赤い』と『夏の扉』と『ロックン』は、数少ない私のカラオケレパートリーである。この3曲以外だったら、小泉今日子の『艶姿涙娘』しか歌えない。しかも最後にカラオケで歌ったのは、20年くらい前。

椎名林檎、星野源:
この二人は、やはり才能あるわー。椎名林檎の楽曲は、「きっちりとこういう世界観で曲を作っていますから」という彼女の姿勢がはっきりと伝わるし、あの歌詞!椎名ワールド全開である。才能の豊かさをものすごく感じたパフォーマンスだった。同じようなことは星野源からも感じる。また彼女とは違う個性で。彼の作る曲は、暖かいプラスのオーラを放っていて、口ずさむと前向きになる。椎名林檎と星野源は全く個性が違っていて、どちらも唯一無二だと思う。

ユーミン:
出て来るだけで盛り上がる。歌唱力が年齢相応なのは、仕方がないけれども、どの曲が好きか絞れ切れないほど名曲ばかりというのは、まさにレジェンド。出て来るだけで、芸能人のゲストも一ファンに戻してしまうカリスマがあるのは、彼女だけ。夫が、バックバンドの豪華さにずっと興奮していた。後で知ったのだけど、ベースがJINOだったって。気がつかなかった。テレビで紹介してよー。荒井由実時代の曲が個人的には好きなものが多い。バロック時代の絵画を所蔵しているだけで、その国の国力とか美術館のステータスを持ち上げるとは言うけど、「ユーミンの曲」というのも、後の時代にもずっと残る、バロック絵画と同じ位置付けになれそうなひとつのジャンルだなと思った(大げさ?)。

圧倒的だったMISIA:
説明不要。上手すぎる。みなぎる現役感。純粋にパフォーマンスで一番よかったと思う。一番驚いたのは、20年前のデビュー曲を、さらに進化させて歌い上げたあの歌唱力である。余裕って感じ。繰り返すけど、MISIAのパフォーマンスだけで、紅組の勝ちだったと思っている。生きている間に、MISIAのライブに行きたい!

ステージがゴージャス:米津玄師
ドラマの主題歌だった『LEMON』がすごく好きだから、絶対に見たいと思っていた。最初、故郷の徳島の美術館から中継とアナウンスされたとき、すぐに「あー、これは大塚美術館のシスティーナ礼拝堂の展示のとこからだ!」と確信する。死者への呼びかけの曲にぴったりのステージだもの。NHKが最も今回力をいれたセットじゃないか。蝋燭も本物だったし。蝋燭の炎で、ミケランジェロの絵が、ゆらゆらと揺れるのだ。すごーい豪華。『LEMON』のPVの再生回数は2憶4千万回以上らしいが、うち10回は私が再生した(いらぬ情報)。PV通りの歌声なのかと、期待と不安で画面を見つめていたけど、杞憂だった。米津さん、PV通りの雰囲気で、PVと同じ歌声で、最初は口パクかと思うくらい、クリアで響く歌声だった。よかったわー。録画しておけばよかった。


この紅白は、たまたま私の年代が知っている歌手が多く出場していたのだと思う。やっぱり、なんとか48とか46という団体系はなじみがなくて、何を歌っているか、誰がいるのかもさっぱりわからない。あと団体の踊り系の男性らも顔も名前も曲もわからない。Da PumpはISSAだけは顔と名前が一致しているけど、今年流行ったらしいUSAという曲は、大晦日に初めて聴いたというくらい、今の音楽に疎い。次回以降も、出場歌手ごとにチャンネルを変える視聴方法かもしれないけど、平成最後の紅白は、面白かったと思った。紅白というのは、いろいろな年代の視聴者を想定しているから、出場者全員を知っているわけがないし、私のような人のほうがきっと多いのだろう。


『相棒』お正月スペシャル:
2時間という時間枠にいろいろなことを詰め込みすぎだと思う。今期の『相棒』はいいと思ったのに、残念。

テレビのことだけで長くなってしまった。お正月全般については、たいして書くことはないけど、また後日に写真くらいは貼っておこうかなと思う。








by himarayasugi2 | 2019-01-02 12:45 | エンターテインメント | Comments(0)

2018年のドラマ

だいたいめぼしいドラマは全て最終回を迎えたところなので、2018年のテレビドラマでよかったものをまとめてみる。最後まで視聴したドラマがとても少なく、以下、内容は偏っているけど。

印象に残る主演男優:
『ブラックペアン』の二宮和也。やっぱり彼は上手。全然演技しているという感じがない。こういう人、どこかにいそうと思わせるのが彼の演技力なのか。リアリティがすごくあるなぁと思った。

印象に残る助演男優:
『アンナチュラル』の井浦新。細かいことは忘れてしまったけれども、彼が画面に映ると、テンションが上がった記憶は鮮明である。ツンデレが好きなのかもしれない。

次点:
『探偵が早すぎる』の滝藤賢一。こういうエキセントリックな役柄は、演技が上手な人でないと浮いてしまう。ドラマもすごく面白かったし、この俳優が出演するなら見てみようかなって思わせる。次点の次点として『99.9』の香川照之と『ブラックペアン』の市川猿之助。

印象に残る主演女優
『義母と娘のブルース』の綾瀬はるか。演技力についてはよくわからないけど、彼女のなりきり具合がすごく好き。姿勢がよく、動きも俊敏で、微塵も「綺麗に見せよう」という邪念を感じさせないけど、すごく美しい人だと思う。彼女は「美人女優」ではなくて、「演技の魅力的な美しい人」だと思う。

次点
『コンフィデンスマン』の長澤まさみ。振り切った演技だけど、ガチャガチャしてなくて、ドラマをより魅力的にみせていた。演技の「体幹」がしっかりしているから、エキセントリックな役もきっちり演じられる人だと思う。滝藤賢一も同じ。

印象的な助演女優
『探偵が早すぎる』の水野美紀と、『ブラックペアン』の趣里。水野美紀は、どのような役でも「ほのめかし」と「ただものではない感」みたいなのが詰まった演技をするから、見るのが楽しみ。体温と存在感がある。趣里は、最近知ったのだけど、唯一無二の個性のある俳優だと思う。これからどんどん露出を増やしていって欲しい。

作品賞的な…
迷ったのだけど、『アンナチュラル』。死因の究明という繊細な主題のドラマを、真面目に誠実に作りあげてあると思った。愛する人の最後の瞬間を知ることで、残されたもののその後(人生)は変わると思った。主題歌もよかった。毎週楽しみにしていた。

次点
『dele.』。これも、死者の残した記録をめぐることが主題のドラマで、「死」が絡む点において『アンナチュラル』と似ている。出演者の個性が、ドラマの主題に調和している感じ。色にたとえたらニュアンスのある中間色のオーラをまとった俳優ばかりで、それもよかった。それから『コンフィデンスマン』も面白かった。脚本が風刺が効いていて、とにかくセリフが面白い。いつもいつもどんでん返しにワクワクした。

次点の次点
『女子的生活』。主演女優というか男優の気合を感じた作品。映像の見せ方も実験的で、面白かった。

今後の注目の人
『アンナチュラル』の竜星涼と『義母と娘のブルース』の井之脇海。二人ともドラマで見て、「誰この人!すごいいい!」と前のめりになった。

最近のドラマからは特になし。『相棒』の今シーズンは面白さが戻ったと思う。楽しんで視聴している。『まんぷく』は、今週から休憩中である。なんというか、「逮捕→釈放→リセット→軌道に乗る」を1セットとして、この繰り返しにちょっと飽きている。ついに逮捕も3度目(現在3セット目)となり、またこのあとリセットされるのだろうと、予測がつく。リセットされると、全状況がリセットされるみたいで、物語の流れが単線のみ。並行するサブストーリーがないから、どうも世界観に広がりを感じない。比較してはいけないが、『あさが来た』はその辺飽きさせなかった。4セット目から再び視聴する予定。

『リーガルV』は、絵空事っぽいけどエンタメとして面白かった。法廷ものなら『正義のセ』のほうが作りは丁寧で面白いと思う。『警視庁ゼロ係』は、寒いギャグも多いけど、謎解きは本格的で面白かった。 








by himarayasugi2 | 2018-12-18 14:34 | エンターテインメント | Comments(0)

2018年のM1/紅葉

2018年のM-1を制したのは、「霜降り明星」だった。

毎年、必ず視聴してしまう『M‐1グランプリ』なのだが、今年は結果に納得している。ちなみに、去年の優勝者は絶対に「和牛」だったと思う(*1)。しかし、去年2位だった「和牛」だからといって、今年の優勝が約束されているわけでもなく、こういうのは、タイミングと運もある。もし事前のジャッジミーティング的なものが存在するとすれば(仮定だけど)、「和牛は最終ラウンドに残し、最終ラウンドで突出した出来のコンビがなければ、優勝は和牛にする」くらいは決められていたかもしれない。でも、「サンドイッチマン」が敗者復活から優勝したように、会場の笑いを独占するコンビが突然現れるときもある。今年もそうだった。

決勝ファーストラウンドで、私が一番笑ったのは「ジャルジャル」の国名を分割して言うという、わけのわからんゲームがネタの漫才だった。「アル・ゼンチン」とか「イン・ドネシア」とか、何度も何度も繰り返されているうちに、笑いが止まらなくなってしまった。次に笑ったのは、「霜降り明星」で、次が「かまいたち」と「ミキ」だった。

決勝ファイナルラウンドでは、ベテランの「和牛」か、突如現れた「霜降り明星」かで迷ったけど、最終的に夫も私も一番大笑いしたということで、「霜降り明星」が優勝じゃないかと予想したら、今回はそれが当たった。文句なし。

審査員の1人、「ナイツ」の塙は、終始冷静で的確なコメントをしていたのが印象的だった。塙は、「霜降り明星」について、ツッコミ役もボケ役もどちらも人間としてのパワーがあると述べていて、それはこのコンビの強みだとしていた。同感。漫才コンビでは、片方の存在感が強い場合が多いのだが、2人とも同じくらいパワーがあるほうが、厚みがでると思う。有名なところで、ダウンタウンは二人ともピンでも堂々の存在感だし、ブラックマヨネーズもそうだ。銀シャリも、サンドイッチマンもそう。「霜降り明星」は、これらの有名コンビに続く逸材かもしれない。普通に面白かったし、どちらも「太い」感じ。笑わせてもらった。

立川志らくのコメントもよかった。「かまいたち」について、「漫才が面白い」の前に「漫才が巧い」と感じる(それは改善すべき点)と指摘したのは、その通りだなと思う。審査員に立川志らくと塙を入れたのは、とてもよかった。彼らのコメントは具体的で、お笑い業界でない人が聞いてもわかりやすい。

最終結果は、「霜降り明星」が4票、「和牛」が3票と割れた。激戦だった。どちらも面白かったけど、より笑ったといったら、やっぱり私は「霜降り明星」だった。「漫才が巧い」よりも「漫才が面白い」方に軍配が上がったといった感じ。大衆芸能なのだから、面白くてなんぼというのがベースにある。「和牛」は残念だったけど、実力は折り紙付きだし、これからも活躍すると思う。

「霜降り明星」「ミキ」「かまいたち」「和牛」「ジャルジャル」の5組は、面白かった。


*1)個人的に本当に謎の優勝は、何年か前の「〇レンディエンジェル」である。なんであれが優勝なのか、全くわからず。一度も面白いと思ったことがない。


紅葉:
もう終わっているかなと思ったけれども、山の方はまだやっていた。ダラダラ歩くケンにはお留守番をしてもらって、人間だけでさっと上って見てきた。午前中に立ち枯れたコスモスを撤去する作業を行った後に坂道を上ったので、すごく疲れた。枯れコスモスは、45リットルのゴミ袋4枚にパンパンにはいった。年内に、土を補充してなんとか手入れを終えないと。下の庭もなんとかしないと。でも時間がない。
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by himarayasugi2 | 2018-12-03 09:09 | エンターテインメント | Comments(0)

『ボヘミアン・ラプソディ』

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 『ボヘミアン・ラプソディ』を夫に引っ張られて、朝一番で観賞した。観る前は、お金をかけた再現ドラマみたいなものなのかなと思っていたのだが、とんでもなかった。映画が終わっても誰も席を立つ人はいなかった。圧倒されて立てなかったというべきか。エンドロールの最後の最後までみな余韻に浸っていた。夫は横で鼻をすすっていた。号泣したらしい。




 ラジオからよく流れて来る、のびやかで、華のある独特の男性の声が、「クイーン」というバンドのボーカルのものであることはしばらく知らなかった。私が「クイーン」の存在をちゃんと認識したのは、『バイシクル・レース』の頃である。物心ついたときから、土曜日の午後に家族で『ポップスベストテン』というラジオ番組を聴くことが多かった。その番組は、10位から1位までをランキング形式でかけるスタイルだった。あるときの1位が、クイーンの『バイシクル・レース』だった。フレディの声と、冒頭に「バーイシクル!バーイシクル!」と繰り返す楽曲が強烈で、それ以降、あの声の人は、「クイーン」の人だ、と記憶することになった。




 映画は、クイーン結成からフレディ・マーキュリーが亡くなる6年前の「ライブエイド」のライブまでを追ったものである。フレディは、45年という短い生涯を、太く、劇的に駆けていった。ものすごいセンスと世界観が、一度聴いたら忘れられない楽曲を生み出した。特に面白かったのが、『ボヘミアン・ラプソディ』をみなで試行錯誤して作っていくところ。そして切なかったのは、恋人としてのメアリーとの別れの場面。




 「クイーン」は、フレディの強烈すぎる個性もあって、よく知らないとワンマンバンドだと考えてしまいそうになるけれど、映画を観てその認識は誤りであることがわかった。フレディは一時期、ミュンヘンに渡りソロ活動をしていた。そのときは、「クイーン」から離れて現地で雇ったミュージシャンらと曲作りをしていたのだが、上手くいかなかった。ミュンヘンから戻り、「クイーン」のメンバーと和解するのだが、その和解シーンでフレディがメンバーに語ったことが印象的だった。




 ミュンヘンで仕事をしたミュージシャンらは、フレディの言うことになんでもハイハイと従うイエスマンばかりだった。フレディはそこで、いかに「クイーン」での曲作りが得難いものだったかに気付く。メンバーが、「そこはこうしたほうがいい」とか、出来の悪いものには不満をちゃんと表明することとか、そういう有機的なやり取りこそが、「クイーン」の生命線であり、フレディの発想を形にできるものだったことに気付いたのだ。そのような想いをメンバーに伝え、正式に謝罪をしてからラストのライブエイドへと展開してゆく。「クイーン」はフレディのワンマンバンドではなく、フレディという奇跡のパフォーマーを、全員が生み出すバンドだった。作曲もフレディに偏らずメンバーが良いと思ったものは、議論しながら取り入れていったので、多様性のあるバンドになったのだと思う。





 フレディ役の俳優は、生前のフレディがどのような動きをしていたか、彼の筋肉の記憶を完璧に再現するために、ムーブメントコーチについて徹底的に準備したという。マイクのひねり方、指の指し方、腕のあげ方などなど、フレディのマネではなく、フレディそのものだった。また、ラストのライブエイドの会場もセットなのだが、その再現っぷりが実際に演奏をしたブライアン・メイが「煙草の吸殻や灰皿、コーラのカップなどの細部に至るまですべて」再現されていたと絶賛し、現場を知るフレディのパーソナルアシスタントも「壁のはげかけたペンキや水道管のさびに至るまで」同じだとし、「鳥肌が立った」とコメントしている。





再現ドラマだなんて、ちらっとでも思ってしまって、ほんとにごめんなさいである。





 「クイーン」は、フレディの声が、曲よりも前に来ている印象を持っている。声が物質として、まず認知される感じ。メロディの一部なのだけど、彼の声がメロディの特性でもある。だから、「クイーン」の楽曲はカバーが難しいんじゃないかと思う。





 映画を観終わって外に出たら、映画館のホールで同年代くらいの男性が、みなスマホでなにやら打ち込んでいた。夫もその中の1人であった。夫はフェイスブックにあれこれ書いていたみたいなので、他の男性たちもそうだったんだろう。観終わって、とにかく誰かに感想を伝えたくなるような映画だった。中学から高校にかけて洋楽に熱中していた時期のあった同年代には特におすすめかも。アーティストの創造の裏側だけでなく、「クイーン」という不世出のバンドの人間ドラマも知ることができて、見てよかった。















by himarayasugi2 | 2018-11-18 21:31 | エンターテインメント | Comments(0)