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ヒマラヤスギ雑記

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ちょっとしたことが嬉しい

昨年の秋、大学院を受験した。社会人になってから、仕事関係で何度も筆記試験や、面接などを経験してきていたので、今更試験に緊張するとは思っていなかったのだが、職を得るための試験や面接と、学生として受け入れてもらうためのそれとは違ったようで、1日目の筆記試験の数日前から緊張のあまりほとんど眠れなくなっていた。前日は一睡も出来なかった。面接の前日も当日も緊張状態はまったく解けずにガチガチだった。

面接は、いったん控え室に全員が集められ専攻ごとに時間がきたら順番に面接室へ行く形がとられた。集合してから待ち時間が長く、いやがおうにも緊張が高まる。1時間以上の待ち時間で何度トイレに行ったことか。学部からの知り合いがいる学生達は、世間話などをしてなごやかな雰囲気。受験生です、と声高に主張しないと試験監督と間違えられそうな年齢の人間は、ほかを見渡してもこの研究科の控え室には、私を入れてほんの数名だけだった。場違いでアウェーな感じ。研究計画書や面接に役に立ちそうな資料を何度も読み返しても、内容が全く頭に入らない。

緊張が高まり過ぎて、いっぱい、いっぱいになったとき、誰かがポンッと私の肩を叩いた。振り返ると、少し後ろの席に座っていた青年だった。小柄で優しい目をしたその男子学生は、私に「スーツの襟が折れ曲がってますよ」と言う。慌てて直して「これで直りましたか?」と確認したら、青年はニッコリ笑って「大丈夫です!」と言ってまた席に戻っていった。たったそれだけのことなのだが、私はすっかり緊張が和らいでいるのに気がついた。いい感じでリラックスできている。ああ、あの青年のお陰だなと思った。そして、面接室に呼ばれ心地よい緊張感の中、面接を終えることができた。

無事合格し、4月から大学院に進学した。やっとこの生活にも慣れてきたところで、同じ研究科内の各研究室の院1年生が集まる親睦会が、先日開かれた。親睦会会場に、あのときの青年の姿があった。彼も合格したのだ。思い切って近づいて話しかけてみた。
「面接のときに、控え室でスーツの襟が曲がっているって注意してくださったでしょ?覚えていますか」
「ああ、覚えています。僕、ちょっと前から気になっていて、思い切って声かけたんです」
「すごく緊張していて、ガチガチだったんだけど、あなたが声をかけてくれて、あのとき緊張が和らいでリラックスできたんです。お礼を言いたかったんですよ。あのときは、どうもありがとう」すると、彼はちょっと驚いた顔をしてから、ニッコリ笑って「そうなんですか、思い切って声をかけてよかった」と言ってくれた。

彼は、私をリラックスさせるために声をかけたのではなくて、スーツの襟の曲がりが気になっていて、思い切って声をかけたのだが、私の服装を正してくれただけでなくて、結果として気持ちも落ち着かせてくれた。ちょっとしたことが、嬉しかった。
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# by himarayasugi2 | 2010-06-01 08:24 | 雑感 | Comments(4)

『龍馬伝』22回:龍馬、以蔵   泉谷しげる!

第22回が終わったときに、珍しく夫と意見が一致した。それは「今回の龍馬はわりとよかった」ということ。初めて龍馬が「着物を着た福山雅治」でなかったのだ。お龍の借金を肩代わりしてやるときの龍馬の「この年になっても家族に世話になっている自分が情けない、このお金を私は使えない」と言ってお龍にお金を渡すのだが、それまでの砂袋かついで走っているよりも、セリフにリアリティが感じられて、「今日は、結構やるやん(←上から目線)」と思っていたら、以蔵を新撰組から助ける殺陣では、龍馬が大きく、強く見えた。龍馬の野生の動物のような動き、表情から目が離せなかった。新撰組がロボットのように見える。夫が「福山、頑張ったんとちゃうか(←さらに上から目線)」と何度も言っていたけど、そう思う。

以蔵がついに捕まってしまう。「武市先生に会いたい」と泣き叫ぶ以蔵は、何人も人を斬ったとは思えない子供のようだ。目をぎらぎらさせて、髪を振り乱し、血を流しながら走る以蔵は、手負いの動物のようで見ていて痛々しい。なにもあんな大勢でよってたかって押えつけなくともと思ったが、今後、以蔵は最期までひどい扱いを受けるのだろう。そう思うと、ちょっと番組を正視できないかも。以蔵役の佐藤健がいいなぁと思うところは、喜怒哀楽がストレートに伝わってくるところ。嬉しそうな以蔵は、本当に見ていてこちらも楽しくなるし、傷を負い追っ手におびえ、死にたくないと言う以蔵を見ると、きりきり胃が痛くなる、ひりひりしてくる、そして助けてやりたくなる。

後藤象二郎のにくたらしさは秀逸。ドSキャラクターだけで構成されている。嫌なやつを好演しているが、そのかいあって、本気で今のところ私は象二郎が嫌いである。これは、俳優が上手いということだと思うけれども、象二郎は嫌なやつだ。というか、どう変わって龍馬側につくのか、想像不可能。弥太郎は、人をよく見ている、龍馬とは違った面で視野が広い。彼はよく見ているけれども、得た情報を自分のためにしか使わない。誰かのために何かをやってやろうという気はない。他人に関心がないのだろう。彼が、妬み、嫉みから解かれて人のために行動するには、もう少し時間がかかるのかもしれない。しかし、日本をどうにかしてやろうという考えから距離を置いていたお陰で、長生きしたのかもしれない。今回よりお龍が登場する。『極道の妻』みたいで、現代的な印象。

『龍馬伝』で、龍馬と以蔵に感動するも、『新参者』の泉谷しげるの演技にもらい泣きしてしまう。日曜の夜の感動は、一気に泉谷しげるにもってかれてしまった。泉谷しげる、めっちゃいい!記者役の黒木メイサの立ち位置不明。別にこの役、今のところなくてもいいけど。
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# by himarayasugi2 | 2010-05-31 08:37 | エンターテインメント | Comments(2)

お国言葉を隠す人

M君と初めて話をしたとき、大学の近くで一人暮らしをしていてバイトがなかなか見つからなくて大変だということを言っていた。「どちらのご出身?」と尋ねたら、なにやら浮かない顔をこちらに向けてきて、「一生懸命直して、隠しているんですけど、関西の人間じゃないってわかっちゃいますか」と言うのだ。M君が隠そうとしているのは、出身地の訛りだそうで、それを聞いて「隠す必要ないやん、出身の言葉って素敵やよ」と言ったら、関西に来て言葉でバカにされて傷ついたという話をしてくれる。

「お前の話す言葉はなにいうてるかわからん、ってからかわれるんですよ」と悲しげだ。M君は強面なのだが、お国言葉で話しだすと、めちゃめちゃチャーミングな青年になるのだ。A嬢と一緒に「わからんって言われたら、出身地ではこういうんだって教えてあげればいいやん。お国言葉をからかう方が悪い!」と激しくM君を励ますと、「関西の女の子は、はっきりモノ言うと思ってたんですけど、こういうときに、はっきり言ってくれると嬉しい・・・で、すね」とはにかみながら小さな声で言う。その後M君は、お国言葉全開でいろんな話を熱く語ってくれて、焼酎をがんがん飲んで、なんだか楽しそうだった。

私はM君ほど繊細ではないけれど、気持ちはわかる。結婚後生まれて初めて関西を離れ北関東に移ってすぐ、町では関西弁は話にくいなぁとちょっと窮屈に感じ始めていたからだ。エアコンの取り付けにきた電気屋さんにお茶を出したら、「奥さん、関西出身なの?関西の人はいつまでたっても関西弁が治らないから困るんだよねぇ」と言われて出したお茶を下げようかと思ったほど腹が立ったこともあった。

東京のオフィスで働くようになったときに、マネージャーに「メバチコができたみたいで、昼休みに眼科に行ってきます」と伝えたら「メバチコ」が通じず大笑いされたことがある。「なんだか、メバチコって可愛いね、女の子の名前みたいだね」と温かく尊重してくれるのが嬉しくて、眼科でもメバチコと言ってみたけどやはり通じなくて、それがまた、私だけが知っているという妙な優越感もあって、通じないことに屈折した喜びを感じてしまう困った私だった。この話をM君にしたら、「で、結局メバチコってなんですか」と言うので「モノモライのこと」と答えると、M君の出身地では「メモライ」と言うと教えてくれた。その場に居合わせた人で「へー」とか「ほー」といいながら、しばしお国言葉披露で盛り上がった。
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# by himarayasugi2 | 2010-05-30 09:09 | 雑感 | Comments(0)

叔母のピアノにまつわる不思議な話

東京の叔母は、ちょっと不思議な人で霊感のようなものがある。彼女は、若いころピアニストを目指した時期があったが、結局ピアニストにはならず、ピアノは趣味として今でも続けている。そんな叔母のところに、今から20年以上前にグランドピアノがやって来た。

Steinway & Sonsの19世紀に製造されたそのピアノは、とある場所で展示されていた。会場でそのピアノを見た叔母は、こんな素敵なピアノがあったらなぁとうっとりしたそうだ。ピアノを見てから数日後、突然関係者から連絡があり、ピアノを引き取って大切にしてくれる人を探しているという。話はなぜか、とんとん拍子にすすみ、叔母にこのピアノが託されることになった。リビルト費用のみを負担して、ピアノは叔母の家にやって来た。

19世紀のピアノは叔母の周りで話題になった。叔母が講座を持っていたカルチャーセンターの会報誌にも取り上げられることになる。プロのカメラマン2名が来て、ピアノを弾く叔母をフィルム数本分撮影して帰ったのだが、現像すると、叔母は映っているが、ピアノ部分は真っ黒になって一枚も映っていなかった。叔母は、少し前からピアノに何かあると感じていて、ピアノがそのとき、撮影を嫌がったのだと確信した。二度目の撮影は成功したらしい。

そして決定的な出来事が起こる。叔母がピアノを練習するときは、子供達(私の従兄弟達)にはピアノの後ろを通らないように言っているのだが、ある日練習中に誰かが後ろを通る。叔母はすぐに練習を中断して、子供部屋へ行き「お母さんが練習中には、後ろを通るなって言ってるでしょ」と注意したら「ずっと部屋にいた」という返事。再度弾き始めるとまた人の気配がする。弾きながら視線を動かすと、見知らぬ外国人らしい男性が立っていて、動きながらゆっくり消えていった。またピアノの前で「がらくたピアノ」などと暴言を吐く人もいて、その暴言の主は、直後に考えられない状況で考えられない怪我を負ったことがあり、ピアノの仕返しだと叔母はぴんと来たそうだ。他にも不思議な出来事が起こったため、お祓いをしてもらった。その後は演奏中に誰かが後に立つこともなくなり、暴言を吐いたからといってピアノが仕返しすることもなくなったそうだが、ピアノの中には「まだ彼はいると思う」と叔母は言う。

ピアノが叔母のところに来ることを選んだと、今はそう考えているらしい。ピアニストでもない、一介の音楽好きの叔母が、このようなピアノを所有することは、望んでも普通は叶わない。これは「縁」の問題なのだ。おそらくピアノの中の人は、昔ピアノを所有していて、演奏していた人だと叔母は言う。お祓いをしてもらう前は、たまにすごく上手に弾けることがあって、それを叔母は「自分ではない誰か」が弾いているとずっと感じていた。

ピアノはもともと、ある国の駐日代表公邸にあったもので、戦争中にピアノが破損してはいけないということで、静岡の某所で長年隠されていた。突然発見され、展示に至った。そこで叔母と出会った。叔母に弾かれて、今は幸せだろうか。

私もそのピアノを何度も触らせてもらったが、音が「男性」なのだ。少しピアノの弾ける夫も「男性か女性かと言ったら、このピアノは中年以上の男性って感じがする」と言う。本当にいるんだろうなと私も思っている。

*このピアノの話は、随分前からどこかにまとめて記録を残しておきたいと考えていました。叔母の許可を得ましたので、ブログという場に書かせていただきました。こういった話については、いろいろな考え方がありますので、ファンタジーとして受け止めていただければ幸いです。
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# by himarayasugi2 | 2010-05-29 08:16 | 雑感

私の足は大きい方だ。

纏足について話を聞いた。纏足とは中国の唐時代の末期から約千年ほど続いた風習で、女性の足を成長する前に指や踵を折り曲げて小さな靴に入れて、上から麻布などでぐるぐるまきにして、足を成長させずに小さいままにすること、とある。これは、女性の足は小さければ小さいほど美しいという価値観に基づくもので、特殊なことでもなんでもなく、お手伝いさんがいるような家の子女にとっては、ごくごく当たり前の話だったとのこと。小さな足で玉の輿に乗るようなことを考えていたのだろうか。

実際に纏足用の靴を目にして、その小ささに驚いた。ベビーシューズより一回り大きいくらいで、2,3歳用の靴位のサイズである。私がそのとき履いていたスニーカーの中に2,3個余裕で入りそうである。体が大人に成長しても足が幼児サイズだと、思うように外に出て行くことはできないので、纏足の風習が当たり前だった中国では、女性はみな学校に行かずに家庭教師に学び、結婚するまでほとんど外出せずにすごす。結婚したところで、纏足の小さな足なので、結婚前と生活は変わらず、ほとんど外出しないで一生を過ごすとのこと。だから、纏足の風習があったこの千年の間は、女性は外に出なかったことで、服装があまり変化しなかったそう。千年間、国の女性のファッションが変わらないというのは、ちょっとびっくりである。

自分の大きな足を見つめながら、「この大きさだと嫁に行かずに一生使用人として働くしかなかったんよね」とA嬢に言うと「私は使用人でもいいから、自分の足で行きたいところに行きたいときに歩けるほうがよっぽどいいです」とまっとうな答え。そうそう、そうだよねーとうなずきあう。纏足の是非というよりも(というか、非だと思っているが)、外に出て行くことは、男性の庇護から外れるけれども、変化するためには必要なことだと思う。自分から出て行かないと、千年たっても服装も変わらないのだ。私のこの大きい足は、家でだらだらするためのものではなくて、外にでて自分の身に変化を起こすために行動するための仕様なのだ。と、納得しつつも調べてみたら、西洋でも大きな足は労働者階級のものであり、貴族階級では小さな足が好まれたとあった(ウィキペディアの「纏足」の項)。

生まれたのが、20世紀後半の日本でよかった。
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# by himarayasugi2 | 2010-05-28 08:32 | 雑感 | Comments(4)