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ヒマラヤスギ雑記

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木曜日断片

とりとめなく木曜日の断片を時系列に並べるだけ。

木曜日、朝起きてパソコンの温度計(地元に設定している)を見ると、外気温がマイナス3度だった。でも室内は朝一番でも18度なのだ。この家って、温まるとわりと保温は効くようである。ケンの朝の散歩はそういった中歩くのだが、不思議と朝日が差している様子が視界に入ると、そんなに寒さを感じない。夜の散歩のほうが寒さを強く感じる。

さっさと仕度をして大学へ。先月提出したシュウロンのシモンがあるのだ。シモンの前に、主査の先生による講評をいただく。好意的だったので胸をなでおろす。その後、テーマについてポイントを絞って説明し、質疑応答があって無事終了する。これでM2としての全てのタスクが終了した。あとは、研究室のお手伝いとか、先輩の発表を聴きにいくとか、M2関係の集まりがちょこちょこあって、修了式である。無事、修了できていますように。成績は今月下旬に確か発表されるはず。

A嬢とちょっと立ち話。この時期、みなさん色々あるらしい。情報交換を行う。その後、ウィンドーショッピングをして帰宅する。欲しいものが沢山あった。

木曜の10時は、中井貴一の現代ドラマがある。ほんとは小泉今日子が主演なのかもしれないけど、私は中井貴一が楽しみで観ている。小泉今日子が言ったセリフにあー、わかるわかるというのがあった。それがこれ、「起きてすぐに外になんて出られるわけないでしょ、化粧しないと誰だかわかんないって言われるんだから」というもの。メークアップは普段から軽めなので、化粧しなくても誰だかわかってはもらえるとは思うけど、共感したのは、「起きてすぐに外になんて出られるわけない」というところである。朝起きてすぐに外に出られないのは、化粧の有無ではない。先日の証明写真のときに思ったのだが、皺とかシミよりも、顔のタルミのほうが深刻である。化粧とかではなかなかタルミまではカバーできないし。朝は、頬が下がりきった感じなのだ。これが通常高度まで上がるには絶対時間が必要。だから朝は起きてすぐに知り合いに会うなんて無理なのだ。

ここのところ夜にドラマを観ていると、必ずケンが床暖房の上にぺたんと座っている私の横にやってきて、同じ様に体をひっつけてペタンと体を横たえる。こちらに背中をむけて、何度も振り返るのだ。撫でて欲しいという催促である。なので、最近はドラマを観ている間、ずっとケンを撫でていて、ドラマが終わるとケンの毛だらけになる。夜はひっついていたいのだろうか。群れだと夜は固まって寝るからかもしれない。

ドラマのあと、ケンのぬいぐるみのドナルドの手術を行う。先日、ケンはドナルドのお腹を裂いて、振り回しながらはらわたを引きずり出してしまったのだ。ドナルドはすぐにケンから引き離されて、手術までの間、ケンの手の届かないところにおいていた。その間、2,3日くらいである。ケンは明らかにドナルドを探していて、暫く探してドナルドがいないことがわかってから、あきらめてケロとかプーとかを咥えてくるので、かわいそうになって急遽お腹を縫い合わせた。すぐにケンが駆け寄ってきて、ドナルドをじーっと見ていた。手術終了後にケンはドナルドを咥えて行ってしまった。
# by himarayasugi2 | 2012-02-10 08:50 | 雑感 | Comments(0)

やるなら徹底的に

急に証明写真を撮る必要があったので、写真スタジオへ行った。ここは、さびれた雑居ビルの最上階にある。実はすぐ近くにお洒落なフォトスタジオがあるのだが、そこはシュウカツ用の写真に拘りがあって、接客業種に応募の場合とか、事務に応募の場合とかで写真を変えることを店頭ポスターで啓蒙している。サンプル写真とかを見ると、写真スタジオによると思われるヘア・メークに、写真スタジオ指導によると思われる笑顔を纏った女子大生が、写真スタジオによる修正によって美しくなっていた。なんか、芸能人とかモデルの営業用写真みたいである。店頭のサンプル写真から伝わる店の姿勢からも、普通の証明写真は頼みにくい感じである。なので、誰も行かなさそうな雑居ビルの「普通の」写真スタジオにしたのだ。

その写真スタジオのドアには「お気軽にどうぞ」と色あせて傾いたプレートがかかっていて、皮肉にもそれがそのスタジオをさらに入りにくくしている。ドアを開けると小太りの白髪頭の還暦前後の男性が1人いて、いきなり「あんた、予約の人?」と訊ねる。私が予約ではなくて、すぐにできる証明写真をお願いしたいと伝えると「うち、スピードなんてやってへんけど、すぐに写真を渡せたらええねんな」と早口で無愛想に言う。回れ右して帰ろうかと思ったけど、ま、いいか、とお願いすることにした。「30分後にシュウカツの写真の予約があるからそれまでに急ぐわ」と言う。証明写真に30分もかかるのかと驚いたのだが、理由は後でわかる。鏡で髪の毛をチェックして、指示通りに椅子に座る。

その無愛想な男性はカメラを持つと別人のように、「そう、もっと口角を上げてみよう、そうそう、いいねー、歯見せて、歯!(なんで?) そうそう、笑ってみて(なんで?)、笑いすぎ、もっと優しそうに、そう、それからもっと今度はクールにいこか!」とまくしたてながら、撮影する。証明写真なんですけど。それに証明写真でそんなに笑う必要があるん?と思ったのだけど、男性が楽しそうなので、指示になるたけ従ってみる。時間にして1,2分くらいで撮影終了。男性は最後に首を振りながら「あかんなぁ」ってつぶやいていた。どういう意味なんさ。でも、最初にあまり良いとはいえなかった男性の印象はちょっとよくなった。この人、写真を撮るのが好きなんだ。しかし、スタジオは書類とか備品でごったがえしていて、整理整頓とは程遠い。

撮影された写真はすぐパソコンで見せてくれる。10枚くらいある。途中大笑いしている顔もあった。きっとこれはリラックスさせるために笑わせたのだ。というのも、笑う前の写真は顔がこわばって、口角が下がって、年齢以上に老けた感じなのだが、笑った後は、まだましだった。結局、笑った顔のあとで撮った5,6枚の中から1枚を二人で選んだ。「では、これでお願いします」と言うと、「じゃあ、これを今から修正しますから、修正料は写真代金に含まれているから、うちは追加料金いらんから」と言う。「あ、そうですか、では軽く修正していただければ」と言うと、「軽く?やるなら徹底的にやらなあかん」と言って、カーソルを私の顔の気になるところに持っていっては、クリックしまくるのだ。クリック、クリック、クリック、クリック・・・。そうすると、シミやら皺やら目のクマやら、法令線がどんどん消えていく。クリックしすぎだと思うのだけど、彼はひたすら私の顔の「アラ」を目ざとく見つけてはクリックするのだ。修正しすぎのような、でも仕事熱心だし、でも、だんだん私の顔じゃなくなっていくような、でも、どうせだったらキレイなほうがいいか、と激しく逡巡しながら、結局全ての修正が終わるまで傍観する。

出来上がった写真は、お肌ツルツルでぷるんぷるんで、艶々なのはいいのだが、誰かわからなくなっていた。夫に見せると「これ、大丈夫なんか、本人確認でひっかかりそうやな」と冗談半分に言う。面影は残っていると思うのだけど。

顔写真修正の話を聞いた
その写真スタジオの男性が(私の顔を)修正している間に色々話をしてくれた。まず、顔の修正は、フィルム写真時代に、フィルムで修正を学んでいないと難しいらしい。フィルム修正の経験があまりなくて、デジカメの修正しか知らないスタジオが修正した写真は、プロが見るとすぐわかるらしい。「別人になってしもて、結局ウチで撮り直しする学生とかもおるで」と言う。別人になるのは、触ってはいけない箇所を触るから。例えば輪郭とかを削りすぎたり、間違った場所にシャドウを入れてしまったりとか。「じゃあ、修正すべき箇所はどういうところなんですか?」と質問する。目と目の間の窪みとかテカリとか黒ずんでいる箇所などは、修正するとしないとでは全然違うらしい。それから、顎の皮膚の凹凸なども、化粧では隠せないらしい。顎の皮膚は誰でも凹凸がある。あとは、シミ、テカリ、目のクマを消す。肌の色も均一にする。「あとは、法令線やな、これ消すと違うで」それは私でもわかる。私が唯一褒めてもらった顔のパーツは、意外なことに唇だった。私の唇は薄くて小さくて情が薄そうで、昔からあまり好きではなかったのだ。「あんたの唇は左右対称で、下唇が歪んでない。歪んだ唇の場合は、必ず修正しないと印象が全然違うから。あんたは修正せんでもいいし。歪んでいない、ええ唇やで」とのこと。ちょっと嬉しかった。
# by himarayasugi2 | 2012-02-09 08:36 | 雑感 | Comments(2)

ネット安息日

2月7日の日経新聞のコラム「春秋」が興味深かった。米国の元新聞記者が金曜の夜就寝後から月曜朝まで自宅でネットに接続しなかったらどうなるか実験したらしく、その体験記がコラムで紹介されていた。ネット検索とメールは週末の実験の間は行わないのだ。コラムによると、実験初日は不自由感を強く感じたらしい。しかし数週間後に変化が訪れる。「家族水入らずの時間がよみがえる。本に向いじっくり物事を考える習慣が戻る」(コラム引用)とある。そして「ネットとは自分で適切な距離を取らなくてはいけない」(コラム引用)と結んでいる。

最初に不自由感をおぼえたときは、この新聞記者は「思いついた疑問も天気予報もすぐには検索」(コラム引用)出来ないことを嘆いたのだが、それ、よくわかる。私がネットを使う理由リストの上位がそれなのだ。天気予報はしょっちゅう見てしまう。私は検索以外だとメールとブログでネットを利用する。ミクシィのアカウントは持っているが、日記はやっていないし、コミュニティにも入っていない。フェイスブックとツイッターも今のところやっていない。ゲームもチャットもやらない。したがってネット利用の主目的は、情報発信ではなく情報収集である。パソコンの前で消費する時間は増えたと思う。

こうやってブログもほぼ毎日更新しているので、今さらネットはよくないなどと言うつもりもないのだが、ネットを使っているつもりが、最近はネットに操られているような気もする。依存というには軽いかもしれないけど、ネットで検索をほぼ無意識にやっているときが多いし。ある先生が、ネットでの情報の98%が石で玉は2%だけだと話していたことがある(数字の根拠は不明)。ネットの情報は公式のものではないことが殆どである。情報ソースとしては信憑性に問題がある場合が多い。なので、普段は別に知らないと困るような情報ではなくて、知っていたら便利、程度の情報を私は検索しているのだ。そしてそれに振り回されている。

ネットがなかったころ、1週間の天気や気温が把握できなくてそんなに困ったことってあっただろうか。ネットの口コミで1位の化粧品を使って劇的な変化ってあっただろうか。ウィキがあるから調べるけど、なかったら調べなくても済むことはとても多いし、あるレストランとあるカフェの経営母体が同じだということを知っていても知らなくても味に影響などないし。またあのドラマの来週のあらすじを事前にチェックしておかないとなにか不都合ってあるのだろうか。考えてみたら私が普段気軽にやっている検索ってこんなの(*1)で、出来なくてもなんにも困らないことばかりなのだ。

毎日巡回するブログもネット生活とともに増えてきたので、これも意外と時間をとられる原因なのかもしれない。それに自分でもブログの更新をするので、ついつい他のブログもチェックしているうちに時間がたつ。私はこの新聞記者のように完全にネットフリーの「ネット安息日」を設けることはちょっと難しそうだが、ネットをしない時間帯を決めるとか、合計接続時間に制限を設定するとかはやってみてもいいかなとコラムを読んで考えた。シュウロンを家で書いていたとき、ネットから離れていたけれども、ネットから速やかに離れるときに、ちょっと心の痛みを感じたのだ。なんというか、強い意志の力を行使してやっとこ離れたという感じだった。作業に集中すればもう気にならないのだが、最初がちょっと気合を必要としたようなので、これって軽い禁断症状なのかと思った。

我家では、昔はテレビが今のネットの地位にあったと思う。今は朝食時と決めたドラマと夜のニュース以外はテレビの主電源はオフにしている。そのうちネットに代わるものが出てくるのかもしれない。意外とアナログなものだったりして。

*1:ただ犬と泊まれる宿とか、犬関係の情報、家作り関係の情報、健康関係の情報はネットのほうが多いような気がする。しかも、情報が濃いというか。でも、まぁ、リテラシーは常に必要だと思う。
# by himarayasugi2 | 2012-02-08 08:59 | 雑感 | Comments(0)

こういうのに憧れる

日曜日、三宮と元町をうろうろしたのだ。珍しく夫も一緒である。夫と私は三宮と元町では行きたいところが全く重ならないので、だいたい行くと「じゃあ1時間後にジュンク堂の3階でね」という感じで一端解散する。そして再集合して「ちょっとお茶でも飲む?」とか「晩御飯の買い物でもして帰る?」となる。夫は「自由行動」のときは楽器屋さんに行って、ギターの試奏をしたり、楽譜をチェックしたり、CD屋さんでこれまたCDをチェックしたりという過ごし方をする。私は元町なら小さな店を1軒、1軒なめるようにチェックしたり、大丸の靴売場で人ごみに酔いながら靴を試着したり(靴の試着はものすごく体力を使うと思う。特にブーツを10足試着したあとは、倒れそうだった。)する。この日曜日は久しぶりに元町商店街の中にあるShirasa(シラサ)というアートの本を中心に扱う古書店になにか掘り出し物がないか見にいった。夫はその間、すぐ隣のヤマハでギターを触ったりしていた模様。

Shirasaでは以前、大好きな画家の画集(ほぼ新品状態)を見つけたのだが、そのとき持ち合わせがなかったため後日行ったら売れていたという哀しい思い出があるのだ。こういう店では本との出会いはまさに一期一会。買うつもりで覗くのなら最初からまとまった金額は握り締めていくべきだった。この日はまたあの画家の画集がないかな、とか、他の好きな画家の画集もないかなと見にいった。そちらはなかった。ルネサンスからバロック初期の画家についての本を見つける。飾り文字のように美しい筆記体で本の元の所有者が書き込んでいるページがあった。ほとんど芸術である。迷ったけれども、結局やめておいた。店の奥には2階に上がる階段があって、2階のギャラリーではその日が最終日の展示があった。「よかったらどうぞ」と声をかけてもらっておそるおそる上がっていった。

ギャラリーではスタイリストの高橋みどりさんが普段愛用している衣類の展示即売会が行われていた。実は、昔雑誌『クーネル』の創刊号を、偶然スーパーで買ったことがある。そこに高橋みどりさんの当時のお住まいの様子が掲載されていて、その部屋がさっぱりとして趣味がいいなと思ったのだ。で、高橋みどりさんが何をするヒトかということもそこで初めて知った。その後彼女の『伝言レシピ』というお料理本も一冊購入して、結構活用している。

ギャラリーの展示では、手織りマフラー、毛糸の帽子、それに洋服が並べてあった。まぁ、気軽に買えるお値段ではなかったけれども、シンプルで品質のいい感じであった。マフラーの手触りとかもすごくよかった。ギャラリーはおそらく普段からこの衣類の作り手を知っていてファンであるか、高橋みどりさんのファンらしき女性で賑わっていた。ギャラリー奥に高橋みどりさんがいらした。ショートカットに黒縁眼鏡で、さっぱりとしていてお洒落な人で、大きな声ではきはきと楽しそうにお喋りされていた。暖かいオーラがある。そしてその横には白髪のショートカットで(眼鏡はしていたかどうかよく覚えていないけれども)、存在自体がとてもエレガントな女性が立っていた。記憶が曖昧だけど赤いカーディガンを羽織っていたと思う。展示の関係者のようだった。とにかく只者ではないという、お洒落オーラを発散されている。

年齢を重ねるごとに、よい意味で同性の目を釘付けにするような女性になりたいなぁといつも思う。高橋さんも、その白髪の女性も清潔感とフットワークの軽さが共通している。まとう空気が軽やかでお化粧臭くないのだ。それからやっぱりセンスが若々しくさりげないのだ。あまりジロジロ見るのも失礼だし、さっと展示を見てまた1階の古書を見ていた。

二人ともショートカットがよくお似合いだった。素敵。私は高橋みどりさんより少し長めのショートカットなのだけど、ああいう眼鏡を合わせるとなかなか素敵だなとか、白髪にすると鮮やかな色が似合うのだなとか、ほんの数秒しかお二人を見なかったのだが、いろいろ勉強になった。活かせるといいけど。がんばる。

お昼の記録:
偶然入ったお店で自然薯定食をいただく。麦ご飯(お代わり自由)、とろろ(出汁でといている)、大根柚子(さっぱり爽やか)、おそらく自家製の昆布の佃煮(味が濃くなくていい)、鰆の西京漬、おから、それから卵焼きと魚のすり身を併せた感じのもの、と大根汁がついて997円だった。めっさ美味しかった。夫はお代わりしていた。私も米粒ひとつ残さず完食した。お店も広くて居心地がよい。
こういうのに憧れる_c0221299_8381567.jpg

(撮影者が未熟ゆえにイマイチおいしそうに見えないけど、本当に美味しかった。)
# by himarayasugi2 | 2012-02-07 08:42 | 雑感 | Comments(0)

『平清盛』第5回

『平清盛』の第5回を視聴する。今回の視聴率は今の段階ではまだわからないが、ネットのニュースなどによれば、大河にしては視聴率が低迷しているらしい。視聴率不振の原因については、ひとつには平清盛という人物が、ヒーロー的な存在ではなかったなどと指摘されている。純粋にドラマとして我家はなんとなく見ている。で、第5回の前半はタマコvsナリコのバトルの幕開けであり、後半は海賊討伐に平家が赴くところであった。

タマコと互角に戦えそうなのはやっぱり松雪ナリコである。タマコはどうしてああも、空気が読めないのだろうか。鳥羽上皇とタマコのシーンでは、鳥羽上皇にまだ感情移入できる。美しい顔をしてシレっと鳥羽上皇を精神的に追い込むタマコ。でも鳥羽上皇は悲しみのあまり雨のなかスライディングみたいなことをしたりとか、なんのドラマかよくわからなくなるような壊れ方が今の段階ではちょっと気になっている。彼が出ている場面は、なぜかとても緊張する。いつ切れるんじゃないかと怖いのだ。ナリコはタマコのような天然っぷりではなくて、深く熱く情念どろどろの戦略家という印象。今後の展開に期待。

率直に書くと、今のところ清盛の魅力がまだわからない。わーわーわめくだけのようで実はこう見えて武術の達人、でもないし、わーわーわめくだけのようで実は頭の切れる策士、にも全く見えなくて、どういう人物設定なのか見極めることが出来ないでいる。情には厚そうだけれども、若干から回りしているような。相変わらず周囲の清盛に対する目も厳しいままであるし。今後どうやって成長をとげるのだろうか。それにしても忠正は清盛に「それをいっちゃあおしまい」みたいなことばかり言う。清盛のことを完全に見下しているし、どうせ能力もないだろうとたかをくくっているのかもしれない。このように内部分裂の火種を抱えたままで、見るからに強そうな海賊を相手に討伐などできるのだろうかと、心配である。来週は清盛が捕まるようである。

筋とは関係のない場面が印象的だった。猫を拾ったことで清盛、義朝は佐藤義清の家に招かれて話すシーンである。(サイト引用)「飢えた世の中に対し、義朝は武士の力を示す好機ととらえ「強さを磨きたい」といい、義清は「美しく生きたい」、清盛は「おもしろく生きたい」と、それぞれの志を語った。」(引用終わり)このちょっと前に清盛が義清に対して、義清が武芸や和歌に励んでいるのは出世がしたいからだろう、といった主旨のことを言い放つのだが、それに対して「美しく生きたいからだ」と義清が答えたのだ。清盛って、本当に大丈夫か、みたいに思った訊ね方ではあった。

義清は、弓は真ん中の的を射たときが美しい、と言う。美しく生きていけば、弓も標的をとらえるのだ。それがとてもよいと思った。美しいことは結果として強みになるのだ。3人の答えで1番好きな答えが義清の答えである。相手を倒そうとか、自分が手柄をたてようとか、それがモチベーションで動くよりも美しく生きようとすることでその人の道は開くというように私は解釈したい。

話はどんどん逸れるけれども、採点競技のスポーツの場合、最後は美しいかとか、どれだけ心を揺さぶったか、で勝敗は決めて欲しいなぁと思う。暗にフィギュアのことをいっているのだけど。

さっき母(大河ドラマ見ていない)に忠盛役を中井貴一が演じていて、いい感じやねん、と話したら、中井貴一は適役ではないかとコメントした。彼女の中では忠盛のイメージはいいとのこと。

清盛は暫く視聴は続きそう。しかしまだわからないけど。夫が見続けていたら隣で見るような。
# by himarayasugi2 | 2012-02-06 08:27 | エンターテインメント | Comments(0)